軽井沢移住後1ヶ月が過ぎてこんな変化や気付きがありました
※この記事は2020年12月に書いたものを転載しています
軽井沢に移住してはや1ヶ月。
この間の変化やきづいたことについて振り返ってみました。
目覚めて感じる、非日常感
軽井沢に来てからというもの、
ここが軽井沢であることにとても違和感がありました。
覚めるたびに本当に軽井沢にいるんだ…という嬉しいような、
信じられないような、ふわふわと浮ついた感覚。
毎日が旅行のような気分でした。
朝起きて、お湯を沸かし、
コーヒーを入れるまでの時間も特別でした。
窓の外に見える木々や、しんしんと舞う雪を眺めては、
冬の寒さを目や肌で感じることができ、
それはそれはとても気持ちがいいのです。
1ヶ月経った今は、ずいぶんとその気持ちが落ち着き
実感を得たような感覚です。
そして同時に、この地がよく見えるようになったと思います。
ここにはこんなお店があったんだ、
こんなにも親切な人ばかりいるんだ、
この時間の軽井沢はこんな景色を持っていたんだ。
住んでみると、そんな一つ一つの小さな発見が
毎日山のように訪れます。
観光で訪れていたときとは違う、
くらしの速度だからこそ見えてくる景色。
それがとても嬉しい毎日です。
毎日の生活はプラゴミに溢れていた
変化だけではなく、気づいたこともありました。
それが、ゴミ問題です。
東京で暮らしていた時、
家庭から出るゴミはほぼ「燃やすゴミ」として捨てていました。
野菜を包むパッケージも燃やす。
お菓子の袋も燃やす。
納豆のパックだって当然燃やすゴミでした。
今ではそのすべてが「プラスチックゴミ」。
汚れてしまっているトレイや容器も、丁寧に洗って出します。
すると1週間も経たずに、
東京との大きな違いを目の当たりにしました。
東京では出す頻度が低かったプラスチックゴミの量が、
生活の中で出るゴミのおよそ7割にもなっていたんです。
燃やすゴミとして出すのは、
野菜の皮などの生ゴミとちょっとした紙くず。
それ以外のほとんどはプラごみなんだもの、
「プラごみってこんなにあるの!?」と、本当に驚きます。
東京ではなぜあんなに多くのプラごみを無意識に捨てていたのか、
いったいそれらがどれほどのco2を出していたのか。
そう考えたらゾッとしました。
軽井沢ではゴミ袋も指定されていて、
その代金もそんなに安くはありません。
そうなると、
ただ包まれているだけのフィルムを剥がすだけでゴミになり、
それが有料のゴミ袋のカサを埋めていくという現実も、
ちょっと辛くなってきます。
野菜に袋っているの?
このパッケージのフィルムっているの?
おい買い物をしていても、そんなことがどんどん目につきます。
そんな毎日のなかで、
絶対にこっちを選ぼうと決めたものの1つに卵があります。
それはプラスチック容器に入っていない
紙タイプの容器の卵を買うこと。
そして平飼いされている鶏の卵を買うこと。
買い物という行動は、
消費者として意思を示すとても効果的な行為です。
いずれはこれも、容器だけ持参して、
好きな数だけ買えるようになったらいいですよね。
これが大きな変化の二つ目でした。
四季の変化を秒単位で感じること
何よりも大きな変化。
それはやはり、自然をすぐ目の前で
見ることのできる贅沢に気づいたことです。
軽井沢の西側には御代田町があるのですが、
この地域から差し込む夕陽の美しさに驚かされています。
夕陽そのものだけではなく、夕陽が射すその先。
浅間山や、離れ山などの山々がそれはそれは美しくて、
いつまでも見ていられるほどです。
その景色も1秒毎に表情を変えて、
どんどん、どんどん変化していく。
一瞬も見逃せないからこそ、
心に刻みながら眺めたいと思わされます。
もちろん東京にいるときも、
綺麗な夕焼けの空には心奪われてました。
だけどそう感じるのは
わりと「ときどき」だったようにも思います。
夕陽の多くは、ビルの影になって見えなかったり、
遠くまで光が届かないせいか
夕陽に気付かないまま日が暮れていたり。
本当は毎日、ドラマチックな日の入りが起こっているというのに、
そのことに気がつくことがとても少なかったように思います。
自然の世界を目の前で見渡せることがなんと素晴らしいことなのか。
自然の壮大さを前にすると人は、
理由もなく感動するというこを改めて思いました。
この上ないクリエイションですよね。
毎日、自然と隣り合わせ
軽井沢に移住してからというもの、
人間の生活のベースには自然界があって、
その中でこそ成立しているものなんだということを
実感する毎日です。
なによりベースとなる自分の体が健康でなければ
私たちの毎日も美しくない。
だからこそ、プラスチックゴミは
できるだけ出さないようにしたいし、
きれいな夕陽を見て、
明日もこの夕陽を見るために頑張ろうって思ったりする。
毎日が自然と隣り合わせのくらしは、
これまで以上に「生きている」ことを
ちゃんと感じさせてくれるものでした。
そうして日々を感じていくことの贅沢。
今日も美しい1日を、どうもありがとうございました。
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