人生初のドイツ語インタビュー、舞踏の影響と日本人の宗教観など
タイトル通り、もうすぐ人生初のドイツ語インタビューを振付家として受けます。インタビューは今まで日本語と英語で数回受けた経験があるけれど苦い思い出しかない...。そしてまだやっと使えるようになって数年のドイツ語なんて恐怖しかありません。
とはいえ質問は事前にもらっているので準備はできるのですが、半分は舞踏に関する話題。
ヨーロッパで日本人がダンスで仕事をしていると、かなりの割合で舞踏ダンサーなのか、舞踏は教えられるのかと聞かれるのはヨーロッパ在住ダンサーあるあるかと思います。
私自身も例外でなく、むしろ私は20歳でコンテンポラリーを踊り始めた頃から舞踏っぽいと言われることが多く、哲学や思想、方法論としての舞踏の影響はかなり受けているのは自認しています。
ただ舞踏家と自称することはもちろん避けているので、ヨーロッパ人に無邪気にその質問をされたときは、多大な影響を受けていますと答えるにとどめています。
今回インタビューを受けるにあたり、なぜ舞踏の稽古の経験がほとんどない私が舞踏に大きなシンパシーを感じるのかを深掘りしてみると、日本人として日本独特の風土と文化の中で自然と身に付いた私の身体所作や日本人の自然観、もっというと民俗宗教的な側面が根底にがっしり根を張っていることに気づきます。
ここでいきなり質問です。
皆さんは外国人から日本の宗教について聞かれたら何と答えるでしょうか?
無宗教?仏教?神道?
それって具体的になんなの?
神様はいると思っている?それはどんな存在?
クリスチャンではないのにクリスマスを祝うのはなぜ?寺と神社が一緒にあるのはなぜ?
とまあこちらだといろいろと突っ込まれるのが常です。
移住したばかりでこれらの質問にきっちり答えられる方を私は心から尊敬します。私は全然ダメでした。
とはいえ答えが重要なのではなく、私にとっては日本人の宗教感、宗教という存在との、この世界的に見ても非常に独特な共存関係に気づけたことの方がよっぽど重要かつ幸せな発見だったのです。
宗教という言葉の定義自体もまず問題です。欧米やアラブ世界の一神教に対してアジアは多神教とよく対比されます。それは両者の世界観や宇宙観の違いの大まかな理解を助けてくれます。
ただ日本の場合は多神教は多神教なのだろうけれどそれにも違和感がある。宗教というよりは生活に溶け込んだ様式であり文化であるという説明の方がしっくりきます。私たちにとって宗教はきっと、生活に根差した私たちの世界を取り巻く、科学を越えた領域に対する理解の作法なのです。
こう考えると、私たちの身体にそもそも宗教(信仰文化)はある程度宿っていると考えられます。
では、それが踊る身体とどう関係するのか。舞踏的思想や、ダンスの美学を説明するにあたってそのあたりを考えさせられています。
端的に言えば、私はダンスが見たいのではなく、ダンスがそこに何を産み落としているのかを見たいということです。
それはすべて、目には見えないものです。
しかし、その目に見えないものを感じる、目に見えない何かの単体が複数となり、相互に化学反応を起こし、空間全体を変容させ、形容しがたい感覚となって観客の記憶や感性に触れ、魂に届く。
そのプロセスは、私たち日本で育った日本人が「神」を感じるプロセスと類似すると感じるのです。そしてこのような感性が、ヨーロッパでは突然珍しがられ、説明を求められるのです。
日本を売りにしたいと思ったことは全くないけれど、自分たちや自分が育った国について興味を持ってくれる人がいるならば、できるだけポジティブにきちんと向き合って発信したいと、最近強く感じています。
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