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メタバース時代に生存理由失いそうな自分のメモ

この方のお話、この誰も予測できない未来を一気に駆け抜けるような展開でものすごく面白かった!!(写真はパリの古いアンティーク人形のお店。)


私は2005年周辺の学生時代は、メルロポンティとかマクルーハンとかフーコーや浅田彰系のメディア論とか身体論の哲学論考がすごく好きだったけれど、2010年以降は現実のテクノロジー進化のスピードが速すぎて、そしてデータ主義の加速で社会人間哲学や評論もなんだかこの前後数年限定を視野に切り取ったようなものばかりで、本腰いれて読む価値のある思想家はどこにいるのだろうとずっと思っていた。

最近はそういう意味で30ー40代の研究者らの未来を見通すような言論がとても興味深い。もちろん単純に未来を知りたい欲求ではなくて、自分なりの未来との付き合い方(転じて現在の立ち位置)を考える材料を与えてくれるという意味で非常にありがたい。

メタバースもその一つで、身体を扱う私のような人間なんぞは生きる価値を限りなく喪失するテーゼなので、興味がないはずはなく。特にそれが私たち人間をどこに導くのかがものすごく気になる。そこまで見届けてから死にたいという生きるモチベーションになるくらいに。爆

ちなみに昔の彼氏がオンラインゲーマーで、現実の彼女(私)よりゲームの世界の仲間を優先しすぎたために関係が終わったという過去を持つ私ですがw、メタバースはそんな負の側面をそつなくプラスに変えてくるのだろうなーとこの記事を読んで思った。

私は舞台芸術の人間ですが元々はオタク出身なので、そっち系の世界に惹かれる人の気持ちもわかってしまうところが結構悩ましい。

でもきっとこの方がおっしゃるように現実世界の舞台なんぞはごくごく一部だけが生き残り、わざわざ時間をかけて移動して体験する贅沢品になるのでしょう。
そのときにメタバース慣れした人々がそれをどう捉えるんだろう。退屈と思うのか、逆に雷に打たれたような衝撃を受けるのかどっちなんだろう。

3DCGグラフィックって、4歳の娘が見るようなキッズ番組が最近どれもこれもそれなのだけれど、正直なところどれも平板化(2Dぽいという意味ではないです)&均質化されゆく気がしてたまらない。具体的に言うと個々のクリエイターの差異や個性などはあまり見えない。

今は過渡期だから、超絶リアルだったり迫力あるグラフィックを作るクリエイターが高評価を得るのはわかる。でもそれはもしかしたら動画編集がスマホアプリである程度は誰もができてしまうレベルになったように、そのうちボタンをいくつか押して組み合わせるだけで誰でも可能になるのかもなと思っている。というかそこまで技術が発達&普及しないことにはきっとメタバースで生活なんて次元は不可能だろうと思う。

メタバースは確かに国境や空間を越えたコミュニケーションやアクティビティを可能にするという部分で人間の可能性を拓くんだなということはこのインタビューでよく理解ができました。メタバースを環境保護の側面から考察するのも面白い。
ただ見ている景色が全て3DCGであるなら、現実に分がある領域や可能性はなくならないようにも思う。可能性というよりは、既に開拓された分野や業界やジャンルやプレイヤーの、単なる淘汰を意味するのかもしれないけれども。

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