ロックダウン下でのダンス作品クリエイションの現場入り前夜に。
予想外の形で異国ドイツに移住して4年、すっかり以前の執着を捨てたつもりだったのにまだまだ残骸がこびりついていたようだ。
しかしこの執着の中身は昔とは全く違う。
昔のような自分に対する自己愛的なものでも、他者に対する依存的なものでもないことがはっきりしている。
それは、私が生きる中で何としてもこれを完成させなければならないという執着。
それが素晴らしい出来になる自信があるわけでもない。尤も、これまでやったことのない専門家でも経験者の少ない領域に踏み込んでいるのだからそんな自信は生まれる余地はゼロに等しい。
むしろ他人に結果を何と言われてもいい、これを一旦終着させなくてはならないという執着が鬼気を帯びてきている。
これまでの人生で、自分で感じ得たことのない感性の領域に支配されている。
そこまでして、私は一体何をしたいのか自問する。
この長きにわたるパンデミックとロックダウン、先行き不透明な時代に。人を信頼することが難しくなることも次々に起きている。
それでもなぜ止めないのか。
私は、今のように人と人が集まり、一緒に体験を共有することが不可能になった今でも、どうにかしてその生で有機的な感覚を味わいたいのだ。
そしてその人間的有機性を、デジタルメディアにダンスの空間性を伴ったダイナミズムを賦与することで、人々にも感じてほしいのだ。
それは広義での表現メディアの可能性を押し広げ得るという仮説。
そういったことが可能になるかもしれないという一縷の希望にのみ、今の私は突き動かされている。
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