ベルリン芸術大学院で勉強したかった話からの、アートの社会有用についてよもやま的に。
最近突如として勉強したい欲がすごい。秋から映像制作ソフト勉強してるけどそういうスキル系じゃなくて、哲学系の1ページ読むのに10分かかるような本と格闘したい。自己満足の極致ですが...。
ドイツは基本的には年齢関係なく大学院などで勉強できるから、ドイツキャリアもネットワークもない私は移住最初の目標はもちろん大学院だった。
大学院に行ってハイデガーとかドイツ語で読むのか!とドキドキしていたけど、今年頭にベルリン芸術大学院受けたら、まさかの来る必要なし認定受けて落ちました。
移住して3年、まずはそこを目標に、ドイツ語も必死でC1まで取ったのに、その後の数日間の虚無感たらなかった。
審査後に教授にいただいたアツいアドバイスのごとく、もうひたすら作品つくってより多くの人に見てもらうしか私にやることはないと覚悟し、ちょうど助成金もめでたく受給が決まって走り出したところにこのコロナ騒動。武漢封鎖のニュース見てたのがちょうど1年前の今頃だった。
また降って沸いてきた勉強欲。それは私がダンスと身体表現の有意性を明確にしたい欲求の顕れなのだと思う。前大学院受けたときは正直ネットワークとキャリアの為が本音だったけど、今は少し違う。
お茶大修士時の論文テーマはデジタル監視社会におけるコンテンポラリーダンスの意義だった。
当時はしかしバイト2件掛け持ち+リハと稽古の毎日&休学し放題で、完全にやっつけ論文。(よく修了できたなと今は思う。)
でもあのときも、コンテンポラリーダンスに内在する哲学が、この閉鎖的社会にはとてもよく効く妙薬であることを証明したいという思いだけは強くあった。
パンデミックでライブ上演を目にしなくなった今、生のダンス、人間が目の前で動くことを人間が眺めるという状況から生まれる特有なものを、もう一度自分で確認したい欲求なのかもしれない。
また、私の舞台は非常に日本的感性であると感想をいただく中で、日本で身につけた身体観をきちんと言語化したい欲求も生まれてきたのかもしれない。
ベルリンに話を戻すと、こちらは振付家でやっていきたいのなら行ける院は2択。内私の志向性と合うのは1つしかなく、そこに行ける可能性はもう私にはない。アカデミックにダンスを研究するとなればもう1択あるが、そちらも一度研究発表会を見学したがお茶大の延長のような雰囲気であまり興味を持てなかった。
最近はスイスなどで、アーティストとしての博士課程まで出現したという噂を聞く。(もちろん分野によっては以前からあったと思うが) そして近年ベルリンにもどうやら登場し、友人アーティストが今そこで博士論文提出中だったりする。
どうやらアーティストが持つ独特の知見を、より学際的に社会に還元させることが目的のようで、とてもチャンレンジングな試みだと思うけれど、私のバッサリ系ドイツ人夫はアーティストが博士とるってただのキャリアエゴで無意味な話という意見だったり。
ただそういうアートで社会へ、的な話は日本ではあまり人気がない。少なくとも10年前はかなりそういう空気であった。今でも大坂なおみさんへのバッシングとかあるので変わったとは言い切れないだろうと推測している。
素敵な一例が日本でも人気のオラファーエリアソンで、彼は特に最近は気候変動問題をダイレクトに作品に取り込んでいるし、彼自身も環境保全の為に人々の行動を変えたいと公言されている。
私はアートや芸術で社会問題に切り込んでいくことを昔からやりたかったが、日本の空気の中公言できなかった弱さを今自省している。
少なくともドイツでは、助成金をもらうとなったらどこかでそういった社会や政治的側面に繋がる部分がないと結構厳しい。むしろそこを強調して書かせるくらいで、自分の表現が他者、そして他者の総体である社会にどういう影響をもたらし得るかを掘り下げなくては何も書けない。
もちろん一方でそういう嗜好ゆえに作品の傾向が似通ってくる、あるいは堅いテーマばかりになりがちなのは自然なこと。批判もあるが、それがドイツのカラーなのだと個人的には割りきっている。そこにおもねることをしなければいいだけの話だから。多面的に掘り下げて損なことなどひとつもない。
結局最初の勉強したい話から飛んでいってしまった💦。何が言いたいとか特にないのだけど、この長文を読んでくださった方々に少しでも新たなインプットがあれば幸いです。(なかったら本当にごめんなさい。)
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