コロナ禍@ベルリンのバレエクラスからダンス愛がふつふつと。
今日は初めてのスタジオでもう1年以上ぶりにバレエクラスを受けた。こじんまりしたアットホームなクラスで、気分は10代のときにタイムスリップ。不思議なもので、バレエテクニックはクリアな規律と合理でできているので世界中どこへいっても大概故郷の地元のスタジオに連れ戻されてしまう。
私は自分がバレエ向きではないことを当初から理解していたので楽しいという感覚は一切なかった。ただ身体を意識的に制御することで客観的な見え方がグッと変わったり、バレエという生来の身体のあり方の逆を目指す負荷の高い踊りが、テクニックによって力みがとれることで解放される瞬間を味わえることが私のバレエ愛だった。
コンテンポラリーばかり、自分の好き勝手に踊る日々が続くと私の場合健康によくない。中心軸が失われると集中力も欠いて、思考の深まらない散漫な精神状態になる。バレエはいつもその乱れたコンパスを定位置に戻してくれる。
現在のベルリンのダンス事情といえば、コロナルールの下6月からクラスは解禁されている。劇場の多くはやっとやっと今月来月から再開予定。客席は半数どころか25%くらいに間引くことになる。それでも私周りも今月から騒がしくなってきている。もちろんコロナ以前のようには絶対にできないけれど。
ここは思うに日本とドイツのコロナ対応で決定的に違う点で、ドイツに住んでいると日本の劇場やライブハウスの再開がものすごく早いことに驚く。羨ましいくらいに。
こちらはリハーサルを始めている話も耳にするけれど、演者は数人に限定、身体接触はなし、距離必須、なんなら稽古場にアクリル版とフェイスシールドという完全防御体制。これを守らず他人に見られたら警察が来ると思われる。秋から多少緩和はされそうだけれど、もう5ヶ月経つのにそれくらい厳しい。
今日YouTubeで草刈民代さんと菅原小春さんのインスタライブ(?)を見た。印象的だったのは、草刈さんが今のダンスが昔より表面的なところばかり切り取られ、自分が若かった時代に抱いていたダンスへの希望がどんどんなくなってきていると発言されたことに対し、菅原さんが自責の念を口にしていたこと。
草刈さんの思いは私もとても共感する。私がコンテを始めた15年前、コンテはものすごい勢いがあったし私はバレエにもミュージカルにもない格別の自由と可能性がここにあると信じることができた。ただ今はSNSやインスタ等で、派手なビジュアルや5秒の視聴で次へとクリックしてしまう指相手に、コンテはいかに戦えるのだろう。うまく利用しない限り先はない気がする。
草刈さんはジャンル問わずダンス愛のとても熱い方のようで、思い余って自粛中平原慎太郎さんに電話で訴えたらしい。ダンスの素晴らしさをもっと伝えてほしいと。きっと平原さん初め、日本のダンス人みんながそれぞれの形で今向き合っているんだろう。
ベルリンに来て少しわかり始めたことは、2010年頃に抱いていた私のコンテンポラリーダンスへの期待は、ここではかなりのレベルで実現され、理論的にも構築されているということ。
私が考えるコンテンポラリーダンス特有の付加価値とは、
1.年齢、言語、国籍、性別、セクシュアリティを越えてコミュニケーションを可能にすること
2.社会の少数派と言われる人々の可能性を開拓しうること
3.観る人踊る人両者に、自分の頭と感性で考え、感じることを促せること
この意味で、この芸術分野の社会的有用性(まあ野暮ですが)は非常に高く、特に日本のような画一的社会には鋭いメスと一筋の光になりうるはずなのです。
そうこう言っても、もうコロナでベルリンでもカルチャーは仮死状態で今後どうなるか誰もが不安を抱いてる。ただ、こういう価値のために私たちはずっと働いてきたのだという自負までも見失ったら、あまりにも過去の自分にもダンスにも当時の仲間たちにも失礼な気がする。下手すると生きていくこと自体が難しくなってしまう人も出てしまいかねない。お金のためにダンスを選んだ人なんていない。
もしかしたら本当に向こう5年10年この状態が続くのかもしれない。けれど、何か違う形でも、小さな一歩でも、この希望を繋いでいけるアクションを取り続けていきたい。
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