海女ダンスシアターのクリエイションメモ
2020年初頭、ベルリン移住後の最初の目標だった自治区助成金を受給できるとの知らせをもらった。プロジェクトテーマは海女。2019年秋からリサーチはしていたものの、それから急ピッチで4月の初演に向けて準備を始めた。3月頭にリハを本格始動したと思ったらその後すぐにロックダウン。現在2月の公演日程を組んで準備中という状況である。(写真は舞台美術担当の方による美術スケッチ。)
この海女作品に関しては本当にいろいろな思いがあるのだが、今回は振付部門で大きな発見をしたのでここにメモしておきたいと思う。振付部門というのは、ここではダンサーの動きやダンサー同士の空間におけるポジショニングやお互いの動きのタイミング等の、主にダンサーの身体そのものをターゲットにした部門と定義してみる。
私は26歳から4名以上での作品に取り組む中で最大の課題と感じていたことが一つあった。それは最近ようやく言語化できるようになってきたのだが、身体と身体同士に生まれる「自然性」をどう空間に塑像するのかという問題だった。
たとえばソロで自分が踊る際の自然性というのは、私次第でなんとでもなる。テクニック的訓練は置いておいて、いかにその場と空間と観客と私の中に流れる空気に身体ごと受容し、それによって私の意志によらざる力によって動かされること。即興でも決められた振付でも、それが私が思う自然性。そういうパフォーマンスができたときは生き返る思いがする。
ただそれを他者かつ複数人のダンサーで実現するのが本当に困難だった。20代半ばのときは、それを課題とも認識できていなかったためにメンバーに多大な迷惑をかけたと思う。あのときのメンバーには本当に感謝している。
芸術作品としてのダンス作品は、視覚情報であるダンサーの訓練された身体や珍しい動き方やびっくりするような技だけのものではない。複数のダンサーが空間を移動し、距離を生み縮め、1人が去り2人が残りまた現れる、、、そういったダンサーの物理的な空間移動は、実は作品の重要な要素である。なぜなら観客は多くの経験と感情と記憶を持つ人間であるがゆえに、そういった身体の移動性、空間的関係性から言葉を越えた多くを感じ取ることが可能だからだ。
私の振付家としての課題は、こういった動きと移動に基づく身体の空間的関係性にいかに自然性を付与できるのかということだった。しかもそれをやる主体は私ではなく他人。そのうえその空間的関係性自体も時々刻々と変化する。設定すべきパラメーターが膨大すぎる上、相手が人間なので一度数値決めて再生したら必ずその結果になるというようなテック的利点は全く期待できない。
即興は大好きだが、やるたびに結果が異なる即興だけでは太刀打ちできない。作品を時間空間的に構築していくには、きちんと積み上げていかないと作品はいつまでも顔が見えてこない。だからダンサーに対して自然性を求めるとしても、ある程度の形式なりフォーマットが必須となる。
その方法論の発見に大きなヒントを与えてくれたのが、去年ベルリンで受けたEmanuel Gatさんの5日間WSだった。これは確かに目から鱗ではあったのだが、とはいえやはりそれを達成するにはこういうやり方しかないのだ、という、以前から私の中で朧げに見えかけていた解決法のタネが確信に変わった機会だった。
となると、あとは実践するのみ。早速今年3月の海女作品リハーサルで自分なりに応用してみたが、やはりハマったという感覚がある。それに、海女と水中という作品の世界観にもぴったりであった。
舞台芸術の世界にのめりこんだ14歳のときから、舞台芸術作品は、その時間と空間によって、不可視だが確実に存在する有機的なモンスターを生むものだとずっと思っている。それを作り出すために、まずは出演者であるダンサーの身体の自然性が非常に重要なのだ。テクニックはその次。だから高齢ダンサーでも観る人を魅了する表現が可能になる。
海女作品は予算の関係上リハーサル時間が限られているので、満足なリハはできていないが、先月やっと映像プロジェクションと共にワンシーン通しができた。それは私が今まで味わったことのないダンス体験だった。
海というとてつもない広大な自然を泳ぎ回る海女を、その世界に同居しながら同時に俯瞰している不思議な感覚。そしてダンサーの存在は、主張することなく自然に柔らかく存在しながらも、ときに確実な意志を持って仲間と共に空間を豊かにかき回す。観客は何を押し付けられることもなく、自由に居心地のよい場所を見つけられるような懐の深い親密な時間が流れていた。とても優しく柔らかな、私の求めていた自然性を帯びたモンスター的時空間の胎芽がそこにあった。
2020年がもうすぐ終わろうとしている。結局私はこのプロジェクトを延期しながらコロナ禍で制限ばかりの生活の中でどのように遂行できるかを考え尽くすだけで終わった1年だったが、それによって生かされたと今は思う。
2月の本番は、多分できない。なのでこの作品を、360°VR映像作品にすることで今は動いている。専門家のヘルプもなく素人でどこまでできるのか、本当にできるのか不安は大きいけれど、こんな世界的危機の中でもささやかな挑戦ができる環境と資金があるだけ本当に幸せだと思う。