「わたしの変化」と「夫のキャリア」とのあいだがら
ハイタイ!わきよりこです。
前回は「これまでのキャリアと40代からのキャリア」と題して、自分のキャリアについて書きました。今回は、私が病気になったことで、和氣ひろゆき@夫(以下、ひろちゃん)のキャリアにどんな影響があったかをお届けしようと思います。読んでもらえたらうれしいです。
アラカンひろちゃんのキャリアについて簡単に説明させてください。
ひろちゃんは、約20年勤めた会社を辞め、2010年にコーチング・コーチとして開業&私と結婚をしました。サラリーマン時代はシステムエンジニア(以下、SE)をやっていました。
前回のnote記事にも書きましたが、約10年前は、めちゃくちゃ頑張らないとコーチングで収入得るの無理!という状況でした。結婚直前のころの私は「互いに、やりたいことを応援しあえる夫婦でありたい」と思う一方で「コーチとして開業するって、なかなか無謀。。この人と結婚して生活していけるのかな??」とモヤモヤしていました。
会社を辞める意思は固そうだと感じ始めた頃に、ひろちゃんから「20年やってきたSEは、モノを通じて人に関わる仕事。そろそろ人に直接関わる仕事をしたい!!できるだけお金の苦労をかけないようにするから」と言われて根負けしたのを覚えていますww
2010年春に、彼は会社を辞めてコーチング・コーチとして開業&私と結婚。
そして予想通り、なかなかコーチングのお客さんを増やすことができず、ひろちゃんは貯金を切りくずす生活を1年2年とつづけていました。いつだったか忘れちゃいましたが、所有していた車を手放すこともしました。
多少貯金があったこと、共働きだったこと等々で、どうにかやってこれていたのですが、、、2018年に私はガン告知をされました。しばらく私が治療に専念するため、一人で二人分稼がないといけない状況になったのです。
私にガンがみつかって、数か月後に、ひろちゃんがSEの仕事を再開しました。たぶんその数カ月間、ひろちゃんは「SEの仕事を再開した方が、稼げるかな。いやいや、SE辞めて8年経っている自分が、ブランクを埋めることができるのだろうか」といった感じで、一人で悩んでいたと思います。
さいきん彼に聞いて知ったのですが、わたしが自宅療養中に、何度か39度近く熱をだして、タクシーで一緒に病院に行ったときに、SEに復帰する覚悟をしたそうです。高熱で苦しんでいる私をみて「よーりーが治療に専念できる環境をつくろう。」と思ったそうです。
SE復帰して1~2年目のころは、わたしに仕事の話をすることはほぼなかったです。4年目に突入した最近は、「若手の社員がいい仕事をしたんだけど、本人はそのこと気づいていない感じだった。僕がほめたらキョトンとした顔していたよ、笑」といったことを話してくるので、まあまあ楽しく仕事をやっているようです。
こないだ「最近は楽しく仕事している感じだね。今だから聞くけど、もしSEの仕事がうまくいかなかったらどうなってたかな」と聞いてみました。
「う~ん、人のせいにするのって楽だから『よーりーが病気になったせいだ』と言っちゃったかも。最初は、仕事へのモチベーションが10点満点の3点くらいだった。自分で言うのもなんだけど、徐々に自分のSEの才能を自覚するようになったんだよ。もちろん努力もしたからだけど、今はモチベーション8点くらい。必要としてくれるなら、若手に自分の技術を伝えたいという目標もできたし。」と楽しそうに語ってくれて、私はホッとしました。
病気にならないことが一番いいことです。病気になると本人も周囲も、いろんな影響がでるから。でも、病気になったらなったで、その転機を、汗かきながらプラスにしていくことも大事だなと、ポジティブモンスターのひろちゃんから学びました。
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