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【本の感想】父を思い出す ! 90歳のエッセイ
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老いの深み
黒井千次
2024年5月25日初版
2024年10月15日6版
中公新書
新聞に90代の作家と紹介してあったので、読んでみた。
90歳は戦争を知っている世代だ。父のことを思い出した。父は著者よりは13歳上で軍人として戦争にも行っている。著者は太平洋戦争に入った時は小学校(国民学校)3年生だったそうだ。
「コロナ禍のテレビの淋しさ」の中で、知人の歳上男性から、「いくらか戦時中のようですね」とメールを受け取った。「自粛」とか自由の制限による窮屈さの感じが「戦時」のイメージ、ただパソコンがあることは大変な違いですとも感想があった。著者はパソコンを使えないので知人男性の方が進んでいる。「戦時」の報道は、もっぱら新聞とラジオだった。現在は電子機器の普及により報道の幅は広がったが、コロナ禍のテレビのスポーツ放送の減少が淋しいと。
父は幸いなことにコロナ禍を知らないで100歳で亡くなった。新型コロナウイルスが出始めた頃で、ギリギリ施設で看取ることができた。
葬式も小さいながらあげられた。
転倒の話題が多いが、父もよく転倒した。一人で出掛けて、家の前の長い坂を登れなくなって近所の人に連れてきてもらったり、夜中トイレに起きて転び、家具に頭をぶつけ、流血騒ぎになったこともある。
このエッセイはシュールなところがあって、散歩の途中疲れてベンチで休んでいると足元一面のどんぐりが地面に直立して、いつまでそこに座っているのか、と責めてきたり(散歩をせかす直立の影)医者に言われ気の進まない散歩の時、竹のステッキを地面について歩き始める瞬間から自分は老人になるのではないか(竹のステッキが悪いのか)など。
家の中に老化監視人がいて、年寄りくさい立ち居振る舞いがあると警告をしてくる。他の身近な老人と比べたりして。年寄りが年寄りくさくなるのは自然であり、目こぼしや見ぬ振りがふえても差し支えないと。(老化監視人からの警告)
私の実家でも、妹が母に、背筋を伸ばしてとか、色々うるさかった。私も久しぶりに会うと、洋服とか姿勢とかチェックされるけど。私の未来でもある。
電子機器はファクス止まり。作品も愛用の万年筆で書き、原稿用紙は片目が見えづらくなったので、罫線の濃いものを使い、単眼用の眼鏡を作る。
銀行のATMに行き、今まではできていたのに、暗証番号を忘れてすごすご帰ったり(暗証番号に捨てられて) 私も忘れる恐怖があって、こっそりスマホにメモしている。マイナンバーの暗証番号なんて全然覚えられない。
その他、「老いの克服を迫るCM」 「機械はしない就業の挨拶」「電車のスマホ、『七分の六』の謎」等、今どきで笑えた。
読売新聞夕刊連載「日をめくる音」を書籍化したもので、2019年から2023年の連載の収録。
著者は、2005年73歳の時から連載し、「老いのかたち」「老いの味わい」「老いのゆくえ」「老いの深み」で4冊目である。
「八十代の朝と九十代の朝」の中で、朝起き出した時、自分のまわりに出現するものとして、6年前は自分の中に子供の頃の空気や、この世から去った両親や祖母や兄のことが思い出されると書いているが、最近は、今、何時だろうと思う。それは、八十代半ばの詩的世界から九十代初めの散文的世界へと移行したのではないか。
この部分は良く分からなかった。私はこの本を読んで、感想を書こうとして、忘れていた子どもの時のことを思い出した。これは詩的世界なのだろうか?
最近、寝起きの際に出会うのは、そんな透明な甘美で優しい時間ではない。同じようにベッドに座ったまま足を垂らしていると、今、何時だろうという問いが自分の中に起き上がる。だから、何かをどうかしよう、というのではない。ただ純粋に、朝の時刻を知りたいだけのようである。
もしそうなら、森や沼や遠くへと去った人達の後ろ姿が見える八十代半ばは、まだ十分に老いてはいないのであり、九十代にかかって初めて老いは日常のもの、普通のもの、散文的なものへと変化し、人を最後の地点まで運んでくれるものへと準備を始めるのかもしれない。
最後までお読みいただきありがとうございました。
長寿の人の生活や心の中がわかる貴重な本だと思います。ただ日常を書いているだけなのに、なかなかスリリング。私も身体の不調が色々出て来るお年頃。未来を不安に思うのではなく、成長する老いをやや抵抗しながらも楽しもうと思います。