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【今の想い】理学療法士、医療従事者、起業準備、誰かをサポートするということ

理学療法士でも、医療従事者でも、個人でも、何が看板でも変わりのないこととして、「困っている人をサポートする」という立ち位置があります。

これはとても難しいことでもあるし、シンプルなことだとも考えていて。

医療従事者という立場と、患者さん、または利用者さん、クライアントとは、明確にカラダにおける知識に「計り知れない差」があるのですよね。

いわゆる「医療格差」というものです。

カラダのことが分からないから、「ここが悪いですよ」や「歪んでますね」と言われると、とても気になると思います。

治さなければいけないものなのではないか、歪むような生活をしてきた自分が悪いのではないか。

納得のいくまで説明がなかったり、もしくは説明してくれても、よくわからない単語や用語ばかりで理解が難しかったりと、「とにかく何をすればいいか教えてほしい」と思うこともあるんじゃないかと思います。

痛みがあるというのは、つらいことが多くて。
何気ない動作でも痛みが出てしまうと、動くことが億劫になるし、何が原因だったかわからないから、思い当たる出来事を繰り返さないようにやめてしまったり。

本当は、単なる疲れだったり、不可抗力で無理な動きをしてしまっただけかもしれない。

反対に、大きな出来事(事故や転倒、骨折、病気など)があり、明らかな原因と痛みを伴うこともあります。

いずれにせよ、痛みを感じているのはクライアントであり、その苦しみもクライアント自身が抱えているということ。

この痛みや苦しみを、慮ることができる、引き受けることができること。
それが大切なことなのではないかと考えています。

慮る、引き受けるというのは、クライアントの痛みや困り事、悩みの共通認識を持つことと、クライアントと自分の課題、そして、お互いにやるべきこととできることを明確に示して行動すること。

本人がやるべきことを、横取りしてしまわないこと。または、無理に引き取らないこと。
そして、本人に任せるのではなく、伝えるべきこと、良いと思う、悪いと思うことをしっかりと伝えること。

言葉にするとなんだかかたくて、さらには、キレイに分けていけるような、はたまたあるべき論のようになって見えるのは、まだまだわたしが道半ばだからなのだとも思います。

相手に触れるということは、相手に触れられるということでもあり、行き交うエネルギーであったり、感覚の共有は自分の輪郭を曖昧にすることがあります。

具体的には、悩みや痛みを感じ取ったときに、クライアントではなく「自分のものさし」でそれを判断したり、見てしまうことがあります。

本当に、解決しなければいけない課題なのか。
本当に、治さなければいけない歪みなのか。

わたし個人は、痛みを軽減したり、姿勢や歪みを整えたい方、カラダをメンテナンスしたい方、自分を労りたい方、セルフケアを知りたい方、どうしても抜けない力を取って休みたい方に、解決策を提供できるよう、自分のできることを磨いていきたいと考えています。

同時に、あなたのカラダのことだから、あなたに知っていてほしいこと、取り組んでいただいた方がいいこともあります。

自分の身体を他人に預けるというのは、とても信頼や信用の要ることだから。
その信頼や信用に足ることができるよう、丁寧に誠実に向き合いたいと思いますし、慮ることのできる、引き受けることのできるセラピストになりたいと考えています。


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