小説を書くのをやめるどころかまだ書き始めてもいねえ
あまりにもイカツき期間noteの更新をしそびれたというか、そもそも「しよう」と思う発想の間隙すらなかったのだが、別に多忙とかそういうのんではなく単に筆力が死んでいた。
心あるいは身体の不調ではないか、いやまあそんな節はある。特に最近の寒暖差で完全にやられちまっているのだが、筆力というのは別に心と身体、どっちゃともあんま関係ないのではないか。知らんけど。
ハァ、狂人になりてえ。35歳から始められる狂人入門みたいな本、どっかに売ってないすか。ないすよね。だって35歳つったら狂人の死に頃でござんせ。しかし御仁、あたしゃもう小説を書けるようになるには狂人になるしかありゃあしません。そういう気がしませんか。あたしゃあもうやだ。小説とかいう得体の知れない何かしらに展望を、希望か絶望かそんなもんどっちゃでもよろしい、ともかく将来の展望を、仮託するのがしんどうなってきた。つろうございます。
こりゃあおかしな話でござんしてね、35歳言うたらもうオワコンでございますがや。オワコンちうこたあ、もうそろ脇目も振らず狂人街道、目抜き通りを突っ走ろうが誰も止めやしまへん。しかし狂人願望パワーとでも申しましょうか、そういうのんが、ヘタすりゃあ20歳の頃より減衰しておる。いやあヘタも何も明らかに減衰しておる。狂人力、これすなわち生命力と同義ですからかいな?
「周りは結婚とか出産とかでライフステージを進めているのに俺ときたら」みたいな泣き言すら最早通用せず、事ここに至っては「周りは離婚とか再婚とかでライフステージを進めているのに俺ときたら」なんぞと言わないかん。
言うてあたしゃあ昔からマグロパワーが無いんすね。不感症の方じゃなくてね。泳ぎ続ける力の方ね。今思いついた造語なんですけどね。造語なら造語でそないややこしいもんにするなっちゅう話でね。こりゃどうも失礼いたしやした。
そうそれでマグロパワーがね、ないのね。大抵なんでもかんでも集中が続かんし、奇跡的に集中できたとしても半月も継続すりゃええほうでね。半月泳いだら一ヶ月以上の休息が必要なんだな。しかしこれを常人は半日働いて半日眠ってを繰り返しながら人生をやりくりしとんだから参る。参る参る。そうして休息してきた時間がチリツモ、いやそもそもチリというかカタマリなんやが、カタマリ積もって山となって今。無理やて。勝てへん勝てへん。
以前もnoteで書いたような憶えもござんすが、こんな怠け人が生きてられる現世はまっこと優しゅうござんすなあ。変なの。あたしゃ全体の二割の怠け蟻。なんで怠け蟻がいるのかというと予備兵、すなわちバッファ的な意味合いが大きいらしいですが、人間の場合バッファもクソもなかろうて。そういうあたりが社会性と真社会性の違いかもしれませんな。あ。もし今戦争が起きたら、あたし駆り出されるんやろか。いややなあ、FPS苦手やねんな。
小説ね。小説を書いているっていうの、そろそろ止めようかなって思うんです。いやまあ今日寝て明日起きたらまた考えが変わっているというか忘れているはずだろうけれども、なんかもう違くないですか。カスがこういうのん自称するのん。
「趣味で」と頭につけたら許されそうな雰囲気も漂いますが、いやいやしかし本当に趣味かい? だって小説とか書いてて全然楽しくないもん。趣味にしてはダルすぎへん? じゃあ「苦行で」とかにする? 「苦行で小説を書いています」……はあ?
そろそろタイトルの回収といきたい。小説を書くのやめたい、っていつも通りほざこうと思ったんですが、そもそも書き始めてないことに気付いたんですよね。今さっき。このnoteの一文字目を書き出す直前にね。筆力が死んでいるとこういう極論を考えがちになります。気ぃつけましょうね。
ああ、「死」で思い出したわ。この前俺が腹痛抱えて駆け込んだヨドバシカメラのトイレ詰まらせてたヤツマジで許さんからな。いや、別に作為的にトイレを詰まらせたわけじゃなかろうし、この場合詰まったトイレが悪いのか。知らんがな。どっちゃにしても社会的に死にかけたわ。というか、もうちょいトイレを増やせ。社会的死のリスクがかかっている割にトイレの数が少なすぎる。特に都会。トイレもあらへんところの、生理現象の一つもまともに処理でけへんところの、なあにが都じゃバカタレ。