掌編『きれいごと中毒』
こんなことは言いたくないけど、明日に向かって歩いて行こうよ。どうせ僕らの人生は、落ちるところまで落ちていっても、いつか再び舞い上がるんだ。
そんな思索に耽った夜が、いつの間にやら繰り返されてる。頭の表に浮かび上がるのは、むかし嫌ってた希望の言葉。何より嫌いな応援のうた。
嗚呼、たぶん、僕はもうネガティブなことを考えられなくなってしまったんだなあ。束の間の休息に、そっと身を浸していた絶望に、もう耐えられなくなってしまったんだなあ。どこでも誰でも呟くような、前向きな言葉ばかり憶えてしまってるんだなあ。
どこかの誰かが言っていた。幸せだからこそ、不幸せになった時を考え涙を流せるんだって。少しでも元気があるからこそ、落ち込んで底の方まで沈んでしまえるんだって。それだからきっと、ネガティブでいられることは、心の余裕の裏返しだったんだ。
そんな余裕はどこかに消えて、今では本当に底の方に消えてしまっているみたい。
でもそんな僕を、精神的な本能が、必死の言葉で支えてる。それはまるっきり美しいきれいごと。昔の僕が、何より嫌ってた大人みたいなきれいごと。
本当のことから目を背けて、フワフワと浮かんでいるような、まるで危ない薬のような。この際嘘っぱちでもかまわない。冗談みたいでもいいじゃないか。そんなきれいごとで、明日も生きていくのだから。
僕らはきっと死ねやしないから、明日も結局生きてくんだから、それならもう、どろどろに溺れてしまえばいい。そうしたほうが、悩みも少なくてすむんだろう。いや本当に、達観している場合でもないんだって。自分の心の奥底を、きれいなペンキで塗りたくろう。見覚えがないくらいに明るくて鮮やかな色で埋め尽くしてしまおう。それで生きていけるなら、なんだって構わないじゃないか。それはきっと、みんなが言っている『大人になること』みたいなやつなんだ。
だからもう暗いところに心を引き留められることもない。今すぐさようならと言ってしまおう。僕の全身を流れる真っ赤な動脈に、きれいごとの注射を打とう。
人が死んでしまうなんて、誰だって知っていることなのさ。この世界がちょっと息苦しいことぐらい、今さら取り立てることじゃないんだろうさ。そんなの敢えて口にするなんて、子供みたいで恥ずかしいことなんだろうさ。
だから、毎日毎日、現実に負けてしまいそうな僕は、少しでも心を綺麗にするよ。見違えるような人になってみせるよ。そのためだったら何でもするよ。もう他人に迷惑をかけないよ。これから頑張って生きていくんだよ。そうして、どうにかして、自分一人の力で歩けるようになったなら、余った力で、ほんのちょっぴり、誰かを幸せにしてみせるよ。
そんなことを考えていたら、夜が更けていく。だんだんと、だんだんと、眠たくなっていく。もうすぐ僕は眠ってしまうだろう。
明日の朝も、同じ思いで目覚められますように。