偽物の死としての睡眠

・寝るのが好きだ。寝つきはよくないが、今から寝てもいいし何もしなくていい時間が好きだから寝るまでぼんやりしている時間も苦ではない。昨夜ぼんやりとしながら何で睡眠が好きか考えていた。私は他の人と比べて睡眠時間は長いほうであり、いつでも本当に寝ることができる。のび太並みだ。薬の副作用かと思っていたが全然服薬前からこれくらい寝ていた。ただ変なタイミングで寝ることがあって、外出先とか歩きながら寝そうになる時があった。カウンセリングで話していたところ、もしかすると解離性障害の症状かもしれないと言われた。要するに耐えがたい現実から離れる方法として寝ていたのかもしれないということだ。たしかに強く緊張した時に寝ている気もするが、それとも関係なく寝ている時もある。本当によく寝ている。

・寝ている間は何もしなくていいから好きなのかもしれない。そう考えた時に、これは疑似的な死を体験しているのではないかと思った。死は死に至る苦痛とかではなく、その後の全てから解放されるという意味での究極的な救いとしての側面があるように考えている。死にたいという感情は、何かしらにっちもさっちもいかず面倒になって助かりたい、救われたいという思いの裏返しだと思う。死そのものではなく、その後の可能性を全て放棄できて、今起きている、そしてその後生じるであろう苦しみからの解放だ。よくありたいと願った結果として死がある。睡眠も寝ている間だけは現実の全てから切り離されているようで、死の解放と近いものがある。ただし目覚めれば生活が続いているわけで、一度手放した現実の苦痛をすっきりした頭で考えることになり、より本当の解放が欲しくなるのかもしれない。

・睡眠はにせものの死だとしたときに、植物状態はきっと地獄のような状態だろうなと思う。意識だけがある状態で体は動かせない。行動しなければと頭は思っていてもできず、意識だけが外部と遮断されてなお存在している状態は、睡眠とも違ってシャットダウンできずに永遠に座禅が続いている状態なんじゃないだろうか。嫌すぎる。反対にゾンビなら体は動くけど自我は存在していないわけだから、理想的かもしれない。何も考えなくていいっていいな。

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