Re:作られたナラティブ

・今日でカウンセリングが終了。今の先生は3月いっぱいで任期終了らしい。悲しい。これが転移かあ〜とも考えている。前よりも朗らかになって、神経過敏な感じがやわらいだと言ってもらえた。そんな気もする。いい先生だったな。vivantの乃木の彼女さんに似ていてウェーブで肩くらいまでの髪でした。お前はすぐ人の顔を忘れるから、書いておいてやる。K先生。名前ギリギリ思い出せた。

・「今までのいらいらは行き場のない不安をぶつけていたのかもしれない。これまで性格の問題だと思って悩み、当たりたくないと自分でも葛藤していた。薬を服用するようになっていらいら感が収まり、嬉しいようなやるせないような半々の気持ちになった。」

・これは今日のカウンセリングで話した内容の要約だ。この構成は自分のオリジナルではなく、卒論のデータの「今までの怒りは病気のせいだったと断酒して気がついた」という語りのオマージュのようなものだ。

・作られたナラティブを話すことの功罪を考えることがある。『支援と物語の社会学』でもナラティブを本人が作ることで本人がこれからの道筋を見出せる反面、ナラティブが壊れるような場面になった時に如何に対応できるかが鍵となる、みたいな話があったと思う。実際に、自分は一定のナラティブの中を生きているように話す癖がある。一度考えていることを咀嚼して、一つの完成された形でアウトプットする。だからこそ、生きた感情を話している感じがしないと言われるのだろう。それにしても、1ヶ月に満たない期間でその違和感に気がついた実習指導官はやはり施設で働いているだけあって、慧眼だなあと思う。

・作られたナラティブは話し手にも聞き手にも一定のメリットがあり、やはり特に聞き手に対してはデメリットを上回るのではないか。混沌のナラティブは話し手にも聞き手にも負担がかかる。混沌のナラティブを生きていくことは本人にとって未知の暗闇を手さぐりで進むようなものだ。古来から宗教によって死や理不尽の必然性が語られてきたように、人は未知の説明できないものを恐れ、何かしらの理論を求めようとする。同じように、今の自身の置かれている状況を回復のナラティブで説明される道のりの一部であると考えたほうが、意味不明の混沌の一部であるよりも大分回復への希望が見えると思う。

・しかしデメリットも当然発生する。先述したように、わかりやすく一本に整備されたナラティブは脆い。突然の変化や想定外のことを従来のナラティブの中に取り入れることが難しい場合がある。またナラティブを構成する上で排除された要素にこそ重要な部分が隠れていることに本人は気が付かないこともある。自分で言えば、中学時代の飲酒や家庭の不和、パニック発作のことはあまり意識しておらず、妄想的な症状のほうに気が向いていた。どこに焦点を当ててナラティブを見出すかは本人の色眼鏡による。

・明日からもノンストップで予定が入っていて発狂しそうなので寝ます。

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