勉強を続けるだけでもいい

最近とある人のSNSに「最近、観に行きたいと思える舞台がない」と割とダイレクトに書かれていた。

何年もずっと音楽をやっていたから、人間関係に疲れてしまったし、音楽を聴いても楽しくないという内容だった。

自分も近いことを思うし、そうなる瞬間はあるけれど、それって要するに自分の問題なのですよ。

自分のエネルギーがない時、自分の勉強が足りていない時、上手い歌を聴いたり、素敵なお芝居を見ても素直に受け止められなかったりすることもある。

あとは、違う感性のものを受け入れられなかったり、1人のお客さんとして公演の案内やパフォーマンスの告知を受けると、8割方平日の夜の東京に出ていくのは、ほぼほぼ不可能だし、土日も直前になってみないと予定がわからないことの方が最近は多い。

有名な作品ですら、予定が合わなくて泣く泣く断念したものもあるくらいですからね。。。

ただ、その瞬間やはり書いていた人が気がついていないことがあって。

私はこの頃、パフォーマンスの良し悪しだけでその人を判断しないことにしている。

そのコンサートや舞台のコンセプトと伝えたいこと、やりたいことが明確に見えるかどうかと、自分ができる限り時間とお金を費やしてでも、応援したいかどうかなどを見るわけですよね。

もちろん、多くのお客さまはそんなこと考えていないですし、単純にコンサートに行くことが好きで、音楽を聴くのが大好きという人もいらっしゃると思うんですよね。

演奏をやっているとそういうわけにはいかないのです。もちろんインプットもしなきゃいけないし、繋がりも大切にはするのだけれど、大事なのは長いスパンで音楽人生を見ていくこと。

そうすると、今何を頑張らなければいけないのかはっきり見えて来たりもするので、無駄なくインプットアウトプットできるようにはなります。

そして、そんな感覚がつかめてきたら、その感覚を周りの人も大切にしてくれると思う。

何が言いたいかというと、自分がスランプとかしがらみに疲れてしまうのは自分の問題で、そこで「行きたくないで、お知らせとか送ってこないでください。」って言っちゃうことは考えた方がいいよね。と思ったということ。

でもま、私も公演行ったり来たりのGive and Takeが成り立たなかったり、普段の芸術以外の関わりの中で、作品に対しての勉強やその人がやりたいことが見えなかったりすると、舞台観に行こうか考えてしまうことはよくあります。

パフォーマンスよりも、やっぱり普段から芸術家として長いスパンでどう生きて行こうか真剣に考えているかどうかというのが、良くも悪くも年齢重ねると見えてくるものも多いよね。

で、そんなことを考えていると、自分も明日は我が身だし、身内の行き来だけでその他の人を巻き込めるようなパフォーマンスしてないなぁ🥺と情けなくなってしまったりもするもの。

だから、教員やっているのですよね。

もう、毎日ボコボコですが😅
それを全て、美しい音楽や芸術に変えていけるのが、R's laboなのですよ。笑

なんてね。

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