見出し画像

寄り道だらけの22歳

こんにちは
今日で9月も終わりますね
私にとっては特別な月末です
一年間の休学期間がこれにて終了となりました

一年間を総括すると、
それはもう、本当に、
遠回りでした
寄り道ばかりでした

何一つ、一貫性の無さそうな一年間
或るときはフィリピンへ行き、
或るときは山を歩き、
或るときは村に住み、
或るときは様々な国の人たちと地域を巡り、
そして大体、川の中が見える地下に居る

「休学中何しとったん?」って聞くときは、
話が長くなると思うので(私の口下手も相まって)、
この後予定が無いときのみ、聞いてください

これからのためにも、この一年間を短くまとめようと思い、
振り返りのnoteを書くことにしました


寄り道だらけのはじまりは、
休学当初のフィリピンでのボランティアインターンだった
四か月滞在の予定だったが、想定していたものとのギャップに対処することができず、一か月で帰国してしまうことになった

「せっかく休学したのに失敗した」
「計画が全部だめになった」
現地の人たちを助けたいと思ってボランティアしに行った身として、
それを失敗だなんて思ってた自分が今になってすごい腹立たしい

未熟過ぎて、心が弱くて、色んな人の支えがあっても頑張れない自分に
自分で絶望して、人生で初めての大きな挫折に
帰国して一か月くらいは何やってもだめだと落ち込んでいました

そんな気持ちが私の体中を埋め尽くしている時に、
私が最も尊敬している水環境館の館長が
こんなことを言ってくださいました

「思い通りにならないことに価値があるんだよ」と

館長は自然体験や川での活動を通して、
数知れずのことを経験してこられました
自然に身を置くと、思い通りになることなんてほとんどない
だから人間は「生きる力」を川から、自然から学ぶのだ

ただそれは自然体験だけに限ったことではなくて、
日々の出来事にも言えることだった
思い通りになっても、ならなくても、
どちらも私のために用意されていたことなのだ

それからというもの、私と館長はよく
「人は何のために生きるのか」
「私たちは一体何を目指して生きているのか」
哲学の話をするようになりました

館長は本当に素晴らしい方です
この出会いは私の人生の三大幸運の一つ目と言ってもいいかもしれない
ご縁の大切さ、生きる力、川に学ぶ社会…
間違いなく館長との出会いで、私は自分の未来にワクワクして、
自分自身を誇りに思えるほどの人間になることができました

館長とのことや水環境館でのことは、
きっと長編になるので別にnoteにしようと思います


話は戻って、冬の終わりから春にかけてのこと
岡山県の西粟倉村という人口1400人ほどの
小さな村に一か月半ほど住んでおりました

休学前から、ローカルな場所で地域を元気にする事業や活動に
興味があって、偶然noteで見つけた〈一般社団法人Nest〉の
インターン生として、村の子どもたちの「やってみたい!」を伴走したり、
私の「やってみたい!」を叶えてもらったりしていました

上の記事にも書いているように、
この村は「私が毎日うれしかったと感じるのは人と話すこと」だと
気づかせてくれた場所でした

来たこともない、知り合いもいない、
自分にできることが何かも定かではない
そんな場所にただひとり
だけど一度会って、次に顔を合わせば名前を呼んでくれる
難しくないあたたかな「縁」に感動した

西粟倉村は「縁」の集まる場所が多くて楽しかった
人と人がつながるということは平和だ、光だ
自分のうれしいと思うことが明確に分かった旅だった


村から戻ると、山に行くことが増えました

休学前、近所の600メートル級の山にたまたま
「行ってみるか」と一人で行ったら、
登った人しか見ることができない特別な景色に圧倒され
月一で山へ行くほどになりました
自分でも驚きです、ほぼ今の私の生業です

一人でも行くし、あったかヤッホークラブ(みずかんの登山部
の愛称です)でも行き、大学の友人、山をこよなく愛する大好きな後輩とも
山へ行きます

山はご先祖様や神様と、私たち人間の間に在るところ
そして大地の父
山の中に身を置くと日々の緊張がほどける
人が自然の一部であるということなのだろう

山には勇気の神様がいる
私はもともと自己肯定感が低いので、
些細なことで悩むし、あれこれ考えて頭がいっぱいになる

山の勇気の神様は、悩みは無くすものではなくて、
いくらでも前向きに変えられるものだと言う


休学の最後に、
全国の留学生と日本人学生の計18人で
日本のSDGs未来都市を巡る旅に出た

一年前の「思い通りにならなかった」英語のコミュニケーションの
せいで、グローバル的なプログラムをこれまで避けてしまっていた

だからまあまあ、というか、かなり勇気を出して応募しました

またうまくいかなかったらいやだなという気持ちを超えて、
それでも参加しようと思ったのは、
「川に学ぶ社会」を、私を変えてくださった館長の意思を
継ぎたいという思いがこの一年間でとてもとても強くなって
そのために自分がやれることをしたいと決断できたからです

7月に横浜で行われた一泊二日のオリエンテーションの時点で、
(あ、また無理かもしれない)
って何度も思った、私ここにいていいの?って思った

そんな後ろ向きな感情があったけど、
一か月後の2週間の旅は私も別人になったような心地だった

そうさせてくれたのは、
誰かみたいになろうとせず、出来上がった私をこれでもかと解放した私
それと、そんな私を大切にしてくれたり楽しんでくれたチームメイト

私が素直に笑えていた瞬間にみんなが笑っていた時
不思議とこの2週間をやり遂げられるだろうという
確信を持つことができた

悔しさとか、不安とかを乗り越えた時は
ここでも勇気になって私に還元される


この一年間は、私らしくおもしろくて、
波乱万丈な日々だったと
自分でも思っています

気になることが多くて、考え過ぎるところがあって、
人が好きで、自然を介して人が集まる空間が好き
そんな自分のgoodなところも、betterなところも、
一年でパンパンに袋づめされたみたいだ

今日からも、この袋を背負って、
もっといろんな世界に足を踏み出せる人になりたいです

先述した「人は何のために生きているのか」ということを、
いつも考えるようになったことが大きい気がする

ある本に書いてあったこと
とても好きな解釈です

考えることは、自分を成長させることでもなく、誰かと分かち合うことでもなく、ただ私を自由にしてくれるということ
正解のない問いに対して自分で出した答えは、わたしが紛れもなく考えたということで、それだけで愛せるもの、人間はもともと完全に分かり合うことはできないのだから

そして、数えきれない人に会って生まれたご縁は一生の宝です
人はまた人に支えられて生きているから、
いつでもまわりの人と、遠くにいるけどいつも想っている人に
感謝します


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?