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無意味かもしれないし、意味のある無意味かもしれない。そしてそれは意味があるということ


この世のどこかにある世界を構成する1本の糸を引けば崩壊してしまうほど、世界は絨毯のような構造ではない。

しかし全てのモノやコトはつながっていて、何かをつつけばどこかで自分に返ってくるようにできている。

誰かにとっての大切は誰かの大切ではない。

それでも、ないがしろにされた者はされたことを覚えているもの。

もしも今生きていて嫌なことがあれば、人類最初の被害者の人類最初の加害者に対する復讐が今なお続いているものだとも錯覚してしまう。

それが世の根幹にあるものだとして、そこから枝葉が分岐していたとしたら、否、そもそも人類最初の被害者の前の世界が皆にとって良い世界だったのだろうか?

なれば、やり直すというよりも過ちを通して気付かせるための工程だとすれば一見「悪い」と言われる状況も自然と前向きに捉えることができる。

パワーバランスの一極化、その状況が長く続けば自然と世界は歪になっていく……気がする。

気がする、という言葉が出た。

所詮は主観意識の集合体の世界。

誰が何を思い、どういう行動をするかは自由だ。

宇宙から見れば我々なんて顕微鏡から見える世界の中で跳ねまわるボウフラのようなものだろう。

生まれる時と場所は選べない。

しかし前にも後にも「何か」はあった。

生まれた時が世界の終わりの時かもしれないし、始まりの時かもしれない。

難しいかもしれないが、大事なのは今ここにいる自分の意識が消える前に生きる意味を知ること、だろうか?

答えは見つからないかもしれないが、心にそれを留めてわたしは今を漂おう。



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