2021年8月31日
今まで8月31日を意識して生きてきたことはあっただろうか。
小学生のころ、夏休みの読書感想文の宿題が終わってなくて、それでも夏祭りに行きたくて泣いたことがある。
でもぼくの通っていた小学校は9月1日きっかりから授業が始まっていなかった気がする。
小学校・中学・高校・大学・演劇研修所、約20年間、8月31日を意識せずに生きてきた。
それが今年の8月31日、ぼくにとって今までとは違う重みのある1日だった。
20代最後の夏。
9月になっても暑いとは言え、9月という響きは秋を感じさせる。
なにか特別なことをしたわけではない。
朝から海に行って、生まれてはじめて釣りをして、釣り糸は絡まるわ、釣り針と餌カゴが根詰まりして海の底に沈むわで、釣りを断念しようとも思ったが諦めきれず、近くにいた少年にいらない釣り針を分けてもらい、釣りを続行。
それでもなにも釣れずに諦めかけていたら、遅れて到着した友人が10分そこらで小さなフグを釣り上げ、ぼくは大喜び。
そのあとドッグランで犬と駆けまわり、ちょっと疲れた身体で夕方の工場街を車で走る。
そして夜、美味しいお寿司をご馳走してもらってフィニッシュ。
なんて普通で、素晴らしい8月31日だろう。
お寿司を食べながら
「明日、地球が滅亡してもいい」
とまで言っていた。
でも明日から新しい季節が始まる。
今日の幸福感を味がなくなるまでしがみながら、生きていくのだろう。
ぼくが唯一持っている映画のDVDがある。
『アバウトタイム』
ある日突然、父親からタイムスリップの能力があることを告げられた主人公は、納得のいく時間を過ごせるまで何回も同じ時間をタイムスリップをし続ける。
同じ時間を2回過ごすと1回目よりいく分か余裕ができて、最初には気づけなかった“豊かさ”に気づけるようになる。
でも実はその豊かさはタイムスリップする前からからそこにあったのだ。
それに気づいた主人公はタイムスリップすることをやめ、今を生きることを大切にして生きていく。
ぼくは今日という日をもう一度味わいたいかもしれない。
でもそれと同時に味わい尽くした気もする。
明日があるから今日がある。
納得のいかない日もあるかもしれないけど、まずは明日9月1日を、明日にしかない豊かさを大切にしながら生きようと思う。