こわいひと
ぼくは時々、敬称として“先生”と呼ばれることがある。
ものすごく気にしているというわけではないが、少し気になる部分ではある。
“先生”ということばに明確な上下を感じる。
大きな意図はなくとも、わざわざへりくだって“くださっている”感じがする。
へりくだっておけば機嫌を損ねることはないだろう
へりくだっておくぐらいの距離感がちょうどいい
前者はやや腹立たしく思う。
こっちは対等な立場でちゃんと話をしたいのに、へりくだられた時点で対等ではなくなってしまう。
直接怒ることはないし、小言的にコメントすることも無いが、心の中で「ああ」と思っている。
一方で後者は我ながら書いていて「申し訳ない」と思ってしまった。
対等な立場で話したいと思っていても、無意識でマウントを取ってしまう瞬間があったりする。
そのマウントに敏感なひとはへりくだることで距離を取ろうとしているのかもしれない。
先日、友人に「よしおは怖い」と言われてしまった。
「よしおはなにを考えているか分からない」とも。
このことばに対してぼくが傷ついたかと聞かれれば、全くもってそんなことはない。
むしろ外側から自分がどう見えているのかを再確認できたし、そのことばで関係が壊れることがないと信用してくれているからこそ出てきたことばだとぼくも信じているから。
ぼくはひとの陰口を楽しめるタイプじゃないし、ひとに威嚇的な態度を取って自分の弱さを誇るタイプの人間ではない。
サイズ感も中肉中背で、常にひとを睨むような目をしているわけでもないし、暴力的なことをするタイプでもない。
それでもぼくを怖がるひとは一定数いるのだなあと思う。
ちなみに上記に挙げたものを裏返すとぼくが怖いと感じるひとである。
もちろんその一端だけでそのひとを判断するわけではないけども。
「ああ、怖いと思われているのだなあ」と感じる場面には多々遭遇している。
だからこそ出来るだけ柔らかくいたいし、相手の話をちゃんと聞けるひとでありたい。
でもその柔らかさに、話を聞くときの目に、怖さを感じるひともいて。
生きるのって難しいよね。
図らずも自己紹介的な文章になってしまった。