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知らないことはわからないから何にも知らないのと一緒じゃないか?

  最近気になって、よく考えていることがある。それは、
「知らないことってわからないから自分はもしかして、ほとんど何も知らないのと一緒なのでは?」
ということだ。

 うんうん、わかりますわかります。なに言ってるのかしら。おバカなのかしら? と思いましたね? 正解です。
 私はおバカなので、よくいろいろなことを考えています。何にもわからないのだよ。はっはっは。

 今日、私は白いニットを着て職場に行きました。アンダーウェアはキャミソール。ふと、腕を見ると、なんということでしょう。タトゥーがニットの隙間に見え隠れしてるではありませんか。オモッ。と思いましたが、それはとても微弱なため「知らなければ気付かないか」と思いました。

 え? 知らなければ気付かないのか。え? 知らないと気付かないの? え、ということは、知らないで気付かないことってめっちゃあるんじゃないか? わー! どうしよう! 私、きっと何も知らないんだわ。オモ。

 とか言って、別にどうかする必要もなく、どうにかなるものでもないので、ちょっと驚いたフリをしてみただけでした。しかし、知らなければ気づかない・わからないことがいっぱいありそうと思うと、なんだかとってもそのことしか考えられなくなったのです。

 ニットから見え隠れするタトゥーは、知っている自分が見れば見えるけれども、知らない誰かが見ても見えない、見えなければそこに無いのと一緒じゃないか。まじかよ。
 私にめちゃめちゃ興味のある奇特な方がいらっしゃったとして、その方がニットの隙間マニアで、私のニットの隙間を凝視するなどした場合、見えることはあるかもしれません。
 私に魅力がない、とは言いませんが、そのような方がいらっしゃるということは、確率的に低いのではないかと思うのです。

 例えば、“白ニットスケタトゥー婦人” が私ではなく、とても人気のある芸能人であれば、その容姿に注目している人の分母が莫大に膨れ上がるので、スケタトゥーが見えた人、それを宣伝する人、などがたくさんおり、多くの方が認識されるものになることもあるでしょう。その芸能人の腕にタトゥーは “ある” ことになります。

 だがしかし、本日の白ニットスケタトゥー婦人は私です。職場のどなたかがスケタトゥーに気づいたということもなく、スケていなかった昨日だって、私の腕にはタトゥーが無かったのと一緒なのです。
 そうなんです。職場で働く周りの人にとって、私の腕にタトゥーはそもそも存在していないのです。なんてこった。

 さらに。平素より私は、周りの人が周りをよく見ているんだなあ、と感心すること山の如し、加えて、噂話などにもほとんど興味がありません。
 ただでさえ、周りへの関心薄めな私は、見えてないものはわからない、という以前に、見ようともしてないわ。ということに。わーびっくりした。

 「わたしきっと、何にも知らないのと一緒だ」
 わー、びっくりした。

(※タトゥーは比喩です)

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