好きがありがたくて最高
私は自分が何を好きか知らなかった。
自分が何を好きかよくわからなかった。
自分が何を好きかわからないとはどういう意味やねん、と思われるかもしれないが、字義通りわからなかった。
例えば、友人と一緒に食事をする際、「何が食べたい?」と聞かれても、
・今この状況で何を選択するのが得策か
・一緒に食べるためにシェアできるものを選ぶべきか
・選択した食べ物で笑いを取れるか(?)
など、自分の外側の条件に合わせることが当たり前であったため、実際自分が何を食べたいのかなど、考える機会がほとんどなく、知らないまま過ごしていた。
不便だと思われることでしょう。そうです、その通り。とても不便です。
常に欲求と供給が一致していない、アンビバレントな状態で過ごしているわけですから、悩みが多く湧きますし、頻繁に体が悲鳴を上げていました。
当時の自分にとってはそれが常識なので、自分が何かおかしいことだけはわかっていたけれども、
・なぜ自分の体が悲鳴を上げるのか原因がわからない
・他人と過ごすと疲れるのがなぜかわからない
・自分を納得させるための理論で常に頭がいっぱい
そんなことで起こる不具合は数え切れないくらいあった。思い起こすだけでも疲れてしまう。疲れるために生きていたと言っても過言ではない。なんでそんなことすんねん。わからへんねん。
好きなものもわからなければ、何をしたいのかもよくわからなかった。
こんな考え方なものですから、何かをするときももちろん、
・この状況であればこれをするべきだ
・この人相手にはこのような対応が好感触だ
・コスパがいいからこれよりこっちを買うべきだ
など、DOでも同じことをする。今なら簡単に言ってしまえるが、当時の自分にとっては死活問題であった。
謎の体調不良、精神疾患、注意散漫による怪我、など、数え切れないほどやった。めっちゃやった。かわいそうだ。仕方のないことだけれども。
自分のおかしさに気づいてはいたけれども、なにが原因なのかわからない。でもこんな自分のまま生きるのは嫌だ。疲れるし。
ということで、本を読んだり、情報を検索したり、なんかいっぱい調べた。すごくいっぱい調べた。
それで、なんとなく自分がこのような考え方で生きている理由はこれかな、というものに行き当たり、専門家に相談して、認知の歪みを矯正した。
骨盤の歪みを矯正するのと同じで、一日二日で変わるものではない。数年かけて矯正をして、今も常に微調整を続けている。骨盤は歪んだままだけど。
骨盤の歪みを矯正すると……
・肩こりが楽になる
・腰痛が起こりにくくなる
・たくさん歩いても疲れにくくなる
など、いいことばかりじゃないか。やったね。骨盤矯正も真面目にやろうかな。肩こり地獄からも脱却したい。
認知の矯正は、整体師さんが毎日ケアしてくれるのとは違い、自身で日々エクササイズを続けるイメージだ。コツコツと積み重ねる必要がある。コツコツ苦手なのによく頑張ったな、自分。ということに今気づいた。
歪みきってたころを振り返るとほぼ地獄。生き地獄。まあ怖い。さっさとおいとまして、スイーツつまみながらお茶でもいただきましょ。
そんな認知矯正訓練を続けたことによって、私は健康な体、健全な精神、居心地の良い環境などを手に入れ、今はおおむねハッピーである。
なぜ、おおむねなのかというと、生きる上で、自分自身は自分でコントロールできるけれども、自分以外はコントロールできないからだ。それはそうだ。そんなことも知らなかったのよ。おほほ。
好きなものに囲まれて、毎日好きなものが見つかって、好きで溢れている日々はそれはもう、それはもうだ。ありがてえ、ありがてえ。日々感謝。
私の好きなものを見せてくれてありがとう。私の好きなものを作ってくれてありがとう。私を好きにさせてくれてありがとう。
別に私のためじゃないけれども、勝手に受け取って感謝するのだ。最高だ。
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