真人間の発見
あるとき、主治医の先生に「人間の賞味期限は50歳なのだよ。」と言われた。意味がわからず、一瞬ぽかんとした。
先生は、こんな禅問答のような話し方を時々される。
自分なりに、あれこれ考えてみたけど、わからない。
降参して、どういう意味か聞いてみた。
にこりと笑って(ニヤリではなかったと思う)、「生殖可能限界が50歳なのだよ。」と答えが返ってきた。
当時私は、50歳をすぎていた。
そんなことあるかい、俺はまだまだいけるわい。
と内心思ったことを覚えている。
もちろん人によって、個人差はあるだろうが、それは誤差。
実際、47歳を超えた女性で出産する人は、稀だと言う。
となれば、男性も同じようなものだと考えていいと思う。
続けて、先生はおっしゃった。
「動物は、生殖可能限界を超えると死ぬ。けれど人間だけは、その2倍生きるのだ。つまり、50歳の2倍、100歳まで生きるのだよ。」と。
へえ〜と思った。
正直それだけ。
しかし、あるとき、ふと、この話を思い出した。
なになに、人間だけが生殖可能限界の「2倍」生きるって!
50歳を過ぎた、いわゆる老後は、良くておまけ、ないしは付録、悪く言えばゴミのような扱いを受け、爺婆とそしられる。
しかし、このいわゆる老後が2〜3年や4〜5年というのなら、人生の付録やおまけと捉えてもいいかもしれないが、それまでの人生の2倍もある。
これを、付録やおまけと言うには、長すぎる。無理があるじゃない。
ここで、はっとひらめいた。
下の図を見ていただきたい。
普通我々は、Ⅰ区は準備期間。Ⅱ区、いわゆる成年期が人間としての人生だと捉えている。
生物の存在目的を客観的に見てみれば、子孫の継承、つまり遺伝子の継承だといえるかと思う。
この観点から見れば、成年期が人生だという考えも納得できる。
しかし、これは「動物」としての人間の人生のことだ。
Ⅱ区で、動物としての役割は終わっている。Ⅲ区つまり老年期は、もはや子孫を残すという役目はない。というか、能力がない。
逆に言えば、Ⅲ区は生殖という動物の根源的なくびきから解き放たれる。
生殖本能という、最も強烈な本能から、自由になる時期ともいえる。
それも、この時期は人間だけにある、人間固有の期間だ!
人間だけにある期間、人間が人間たる期間、つまり、真に人間である期間だと言える。
爺婆とは、真人間(シンニンゲン)のことだった。
どうだろう、ドキドキして来ないだろうか。
私は、これに気づいたとき、そして、そのことが持つ可能性と潜在力に思いを馳せたとき、しばらく興奮が止まらなかったけど。
追伸:
では、真人間=爺婆とはどういう人間なのだろうか。
これについては、下記を読んでいただきた。
分析してみてあります。