面倒臭いこと、やりたくないこと
「面倒臭いこと、やりたくないこと」をやるようにしている。
面倒臭いこととは、どんなことかと考えると、自分の得意でないことだ。鼻歌を歌いながら、猛スピードで処理できることは、面倒臭くもない。むしろ楽しいくらいだ。
ということは、面倒臭いと思うこと=不得意なこととは、言ってみれば、頭がスムーズに働かないこと、あるいは、頭は働いても、それを実行するについて、体が思うように動かないこととも言える。
頭が働かないというのは、その処理過程の習熟が不足している、つまり、脳のニューロンがしっかり出来上がってない、あるいは、細い。だから、パッパッと電気信号が伝わらない状態だ。もしくは、ニューロンの結束が切れかかっている。
いずれにしろ、脳の機能低下は免れない。放置しておいていいわけがない。
ということで、面倒臭いと思った瞬間、こりゃ、やばい、ニューロンが切れかかっていると、全力で取り掛かることにした。
そして、可能なら、全然面倒臭くなくなるまで、つまりはニューロンが充分太く育つまで、繰り返し、行うようにする。
面倒臭くいなんて全然感じず、むしろ楽しいと思えるようになるまでだ。
イヤなこと。
誰もがイヤなことがある。
できればしたくない。
でも、誰かがしなくてはならないし、誰かがしてくれている。そんなものがある。
ある時気づいた。
自分がしなくてラッキーと思っていたが、これって、やってくれる人に押し付けているだけじゃん。
これは、かなり卑怯な行いだ。
いや、やらなくてもいいことならいい。
しかし、やらなくてはならないことは、話が違う。
誰かやってくれた人に、おんぶに抱っこ、その人の世話になって生きていることになる。それも、感謝の意を表するとか、報酬を出すとかせずにだ。
最低だ。
吐き気がしてきた。
精神の奥底から、腐臭が漂ってくるような気がする。
ということで、誰かがやらなくてはならないことで、イヤなことがあったら、さっさと自分でやることに決めた。
やると、自分のことを自分で片付けたので、人生の把握感と共に気分爽快になる。