読める記事
Taka315さんが、今日の名言を500に達したら、やめようと思うと、書いておられる。
実は、後悔している。
この記事は、もっと前から書こうと思っていたのだが、怠癖が出て今日まで書かないでいたから。
私は、コメントには必ず、返信している。
もっとも、「その通り、他に言うことない」、みたいな時は、コメントに対するスキが、ダイレクトに想いが伝わる気がして、それだけの時もあるが。
そして、コメントしてくださったかのnoteは、必ず読みに行っている。
読み行くのは、この他に、スキをしてくださった方、そして、いつも気になる方がいる。
私の連続投稿は、もうすぐ500日になる(だったと思う)。
これだけ、noteを続けていると、フォローをしてくださったり、スキやコメントをいつも下さる顔見知りが、ある程度増えてくる。
ありがたいことだ。
しかし、上記のような対応をしているので、時には、アップアップの状態になる。
つまり、読むのが辛くなる時がある。量が多過ぎて。
長文なんかに出くわすと、ため息が出る。
いや、長文でも、先を読みたいと、長さが気にならないものもある。
また、しっかり考えてあり、書き手の思考過程が、よくわかり、自分の頭にしっかり入ってくるものもある。
だが、一般的、短文の方が、嬉しい。
Taka315さんの記事、特に今日の名言は、短い!
余計な解説なんかもない。
そして、選んである名言は、押し付けがましくなく、根底に明るさ、希望、優しさがあるものしか、選んでない。
その上、ヘッダー画像に選んである画像が、どれも素敵だ。
これも、名言に負けず劣らず、見ていて気持ちがいいものしかない。
だから、どんなにアップアップの時でも、Taka315さんの記事は、読むのに負担にならない(あるいは、見る)。
そして、上記のような、選択なので、気分が良くなり、力さえ湧く。
これだけの数を次々に、UPすることができるのは、多分、常日頃、心に響いたものを書き溜めておられたものが、大量にあるのだろうと思う。
名言をUPするにしても、その選択眼がいる。
Taka315さんの選択眼は、上記の通り、素晴らしいものだ。
つまり、名言を通して、メッセーが伝わってくるのだ。
こう言うふうに思うのは、私だけではないと思う。
それが、スキの数にも表れていると、思う。
勝手な願いだが、可能なら、このまま続けていただきたいと、私は思う。
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