きれい、すき、たのしい、おいしい、、とか、 こころやからだに響いたものを、 わざわざ理解、説明、分析、、とかじゃなくても、 そんないろどりやうるおいを、感じたままに、ただ、味わう、とりいれる、とか、 大事やと思うなぁ。 それこそ、とーっても、栄養になると思う。 物質的な栄養素ではなく、感じる部分、センサーの栄養。
みてるひとがいてもいなくても、 なにかのためにならなくても、 ただ、その時にその場所で、 いい香りをはなっていて、 それに気づいたひとは、 ちょっぴり幸せをうけとり、 そして、また、そこから、ほんのり幸せが伝わる。 写真では香りは伝わらないけれど、 ほんのり、きもちをお届け。春のはじまり。
例えば、小さなすり傷ができた時、 数日もすれば、ひふは元通りに修復されている。 このはたらきって、全身の細胞でおこなわれている。 傷とかケガとか以外にも、生きることぜんぶ。 それって、この自分の身体の中だけのはたらきじゃないんやろうなぁ、と思う。 植物をみていると、よくわかる。 土や太陽、というわかりやすいもの以上の、 うーん、、 コンセントにささってるから、こうしていきているんやなぁ、という感じ。 コンセントはどこに?どこから?どんなちからが流れこんできて
忙しい、というわけではないけれど、 その日することで精一杯、というわけでもないけれど、 ふとした時に、こうして、自分に向き合う、というか、自分の感じていることをみる、ということから少し離れていた。 特別な準備がいるわけでもなく、体力も必要ないけれど、 ラクだから?今までのクセ? すぐに外側をみていた。 ダラダラとスマホを見たり、とか。 自分の感じていることを、みる、知る、ということは、 何を感じていて、何を考えているのか、それを知ることは、 こんなにも安心す
数年前から読み続けている、とある女性のブログがあって。 2年前ぐらいかな? そのひとのある記事を読んでいて、 あれもこれもうまくいかない! のような日常のことを書いてある内容で。 わたしはそれを読んだ時、 とは言っても、このひとは、いつも、何かあってもどうせ最後にはうまくいってるやん、って思ったんですね。 その時、 このひとはそうなのに、自分には、そう思えないのかな?って思った。 何かあったら、それにのめりこみ、振りまわされ、しんどかった記憶しかなかった。
昔は、本当に冬が苦手だった。 冬が来たら、嫌だ!と言っていただけだった。 寒いのなら、、耐えるだけでなく、 工夫をしたらいい。 そんなこともわからず、嘆いているだけの期間は、本当に長かった。 寒さだけではなく、 工夫するって、楽しいな、と思うようになってきた。 工夫するとか、そんなのを考えるのって、 げんきじゃないと、なかなかできないのかも? と思うぐらい、げんきになったなぁと思った。
寒いです。寒いの、とっても苦手。 からだが、というか、細胞が冷えて動かなくなってしまう感覚。 習い事である、バレエのレッスンに、久しぶりに行ってきました。 厚着している冬、重い服で窮屈。 そんな時、薄っぺらい練習着で、大きな鏡で自分の姿をみることや、まわりの視線を感じることは、 表面のひふだけでなく、内側の細胞も、呼び起こしてくれる感覚。 久しぶりのそれは、からだの軸も踊りもヨレヨレになってしまっていたけれど、とっても良い刺激に。また行くぞー。
寒いー! 写真は、セルフタイマー10秒チャレンジ(笑) そういや、昨年の秋、 breath という展示をしたんです。 息苦しい、窮屈な今、というような内容で。 内容、というか、それを題材にして。 写真に言葉を添えて。 そのうちの1枚。 竜宮城って、自分の内側にあると思っていて。 写真を撮っているとき。 ノートに向かって、自分の言葉を綴っているとき。 時間も忘れて、好きなことをして過ごしているとき。などなど。 外側をみると、騒がしくて、窮屈で。 わたし
冬の寒さが苦手だった。 昨日、お風呂に入って、湯船に浸かるとき、 お湯のあたたかさが、びっくりするぐらい優しかった(気がする)のだけど、 同時に、 まわりのひとの、わたしへの対応、冷たいなぁ、とか、悲しいなぁ、とか、ちょっとイライラするなぁ、とか、 そんなのも、ふわぁってとけて癒された。 わたしが勝手に、そう扱われるひとなんだ、って決めてたからだ、と。 ただ、それだけ。 冬の寒さ、突き刺さるような痛みのようだと感じていたのだけど、 それは、わたしが勝手に、ま
うっかり、深爪をしてしまった。 その指で何かを掴むたび、ぅぅぅ、、となる。 そんな時、思い出す。 深爪していても、小さなケガをしても、 いつの間にか、元に戻っている。 何かのちからによって。 そんなちからを、感じるのが好き。 夜が来ても、朝になる。 寝ても、目が覚める。 植物が育っている。 そんな、当たり前だけど、ふしぎなちから。 あぁ、いま、こうして生きられるのは、そんなちからが、からだじゅうにギュンギュンとみなぎっているからだ、と思い出す。 からだ
何日か前に書いた記憶のある、イベントをどうするか、のような話。 人数は集まらなかったので、わたしは日を改めようとしたけれど、強行しよう、ということになった。 どちらでも構わない。目の前にあることをするだけ。 この3日間、なんだかバタバタと過ぎた。 けれど、夜には、こうしてnoteを書く。 何か書こう!なんて力んでいないし、いいこと書かなきゃ!とかもなく、ただ、その時に出てきたことを記録として残してる。 続けよう!とか、たくさん書こう!もないけれど、なんとなく、書き
昔は、体調やその他、 波があることが受け入れられなかった。だめだと思っていた。 それは、例えば、晴ればかりを望むようなことだ。 曇りも、雨も、嵐もある。 雨だからと、騒いでどうにかするよりも、雨がやむのを待っているほうが早い。じきに雨はやむ。 体調もきぶんも、どうにかしよう!と躍起になるより、その波を受け入れたほうが、そのうち、おさまる。 そして、その落ち込んでいる底をみたくないからと、別のことに逃げても、同じ波はやってくる。 みないフリをしていても、あるものは
あけましたが、普段と変わりない1日。 そういえばクリスマスも、いつの間にか過ぎていた。 それって、心地よかった。 毎日毎日、1日いちにち、大事な日。 こうしなきゃ、のようなものから離れて、今日も穏やかな日でした。寒いけど(笑) 少し散歩して、あとはゆっくりしていた。 この時に書いていたイベント、1週間後のことで。勢いでいきなり決めちゃった。しかも平日。(わたしは曜日は気にしないのだけど 笑) 前までならば、1度決めたこと、ひとが集まらなくてキャンセルするとかって
昨日の続きのようなものかも。 ほんとに、小さなこと。 昔、20代の頃、例えば、結婚して、妊娠したら、今のこの状況から逃げれるんじゃないか?とその機会を待っていた(笑) 未だにその機会は訪れていないけれど、その、辛かった状況からは、ガラリと変わった。 わたしが望んでいたのは、そんな、大きな出来事ではなかった。 いま、深い呼吸ができて、 いま、何を感じているか、と研ぎ澄ますことができて、 ゆっくりとリラックスできること、 それだけだった。 その状態になってこそ、
昨日、少し酔っ払いながらも、承認欲求のことについて触れてみた(見返さずに書いてるから、なんとなくしか覚えてないけど)。 わたしは女性なので(笑)、女のことなのだけど、 例えば、仕事を認められても、 例えば、SNSでたくさんの反応があっても、 その他、いろいろな、他人からの承認を得たとしても、 その一瞬だけ、気分が高揚するだけ。なので、そういうアップダウンは、わたしはしんどくなるので、意識的に避けている。 何を認められたいのか?長年考えていた。何度も何度も。 その
今日は、いちにちの終わりに、どっと、ヘコんで疲れていた。 その理由を考えていたけれど、そんなのって、理由なんかなく、ヘコもうとしていた時、ヘコみたかった時に、たまたま何か出来事があっただけ。 そして、たまたま浮かんだキーワード、承認欲求。 あぁ、これかな、と思いつつ、その中身は、わたしにとって大きなテーマになるなぁ、と。 少しずつ書いていきますね。とりあえず覚え書きのための記録。 少し酔ってるからこそ、書いちゃった(笑)