人生の手触りを。
うまく生きられてないなっていう出来事が何個たまったら世界を生きられなくなるのかなとか、うまく生きられてるなっていう出来事が何個たまったらそれを実感できるのかな、なんてことをなんとなく思いながら誰もいない田舎道を散歩した本日。空がだだっ広く見える道。サイコー。
いつかの自分の言葉たちを眺める。Twitterの下書きには過去の想いがたくさん存在していて、それを眺めては、あれ、わたし昔こんなこと思ってたんだなとか、これ本当にわたしが書いたのかなとか思う。
でも、色褪せることなくそこにいる言葉達は紛れもなく自分の中から生まれたもので、しげしげと読んでしまう。
最近は、人生の手触りが今までと180度変わったなあと感じる。ツルツルとしていた触り心地は、今、ザラつきを帯びてきている。
そのザラザラした感触は、なんだか痛いような、こそばゆいような、感慨深いような。思っては消しての後悔の気持ちを肯定してくれるようで、何度も触り心地を確かめてみる。その触り心地が自分の生きてきた証だとしたならば、いつだって自分を褒めてやりたい。
そんな気持ちでいないと歩みを止めてしまいそうな出来事の連続で、悲しさも寂しさも後悔も、すべて自分自身で抱きしめながら、日々を過ごしている。
よく、「◯◯さんって強いですよね。うらやましいです」みたいなことを言われる。いやいや、そう見えているだけで、本当に自身だけで強い人間なんていないよなあ、と思う。どんなに強いアニメの世界のヒーローだって、仲間がいてこその強さだ。仲間がいなかったら突如現れた強敵にだってきっと敵わない。ガレキの下から這い上がる強さを見せられない。きっとね。そしてわたしにとっての強さの根源は家族で、家族がいるから自らの足で立てている。強くあれる。父や母、兄弟。その存在に救われている。
うまく生きられていないな、って、そんな瞬間に。思い出す。
一度ザラつきを帯びた人生の感触がもう元に戻ることはないし、これからもどんどんと手触りをかえていくんだろうな。それをたのしみだ、なんて思えるような人間でもないから怖いし不安だ。
そんな気持ちを抱えながら、住み慣れた町のあの田舎道を恋しく思う。
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