わたしの味方
ちょっとだけ真面目な話だけど
未来は明るい、という話。
大勢が苦手だ。
苦手な理由はいくつかあって
声が小さいから
大勢でいると遠くにいる相手に声が届かないし
大勢でいると情報が多すぎて疲れる。
あの人はこうゆうこと言ったら嫌かな
あの人はこんなことで爆笑するんだ
あの人全然笑わないな
とか、情報過多で
頭がどうにかなりそうになる。
それに、自分がわからなくなる。
全部の人に適応しようとするから
肝心な自分自身がいつの間にか
消えていなくなってしまう。
二十代の頃、私は大都会で
一人暮らしをしていた訳だけども
情報しかない、みたいなあのような場所で
どんな風にして生きていたのか
不思議でたまらない。
先日のことである。
久しぶりに20人くらいが参加予定の
飲み会に誘ってもらえた。
こういった会に苦手意識のある私は
ものすごくためらった。
20人もいたらもう脳内パンクだ…
任意の参加だったし断っても良かった。
でもせっかくの機会だったし
仲良くしていた友人も参加するからと
勇気をだして参加した。
結果、完敗であった。
別に勝ち負けはない。
誰かと対決をしているわけではないのだから。
でももう本当に心が疲弊してしまったのだ。
誰も悪くない。
懇親会に参加していた人に
悪い人なんて一人もいなかった。
意地悪をされたわけでもない。
みんなそれぞれ楽しく
酒を酌み交わしていたように思う。
ただ、なんだかその中に
完全に入り込めない自分がいた。
気を使ってばっかりでうまく話せなくて
ひきつった顔で笑うことしか出来なかった。
わかってはいたけど
やっぱりしんどくなってしまった。
声の小ささ故に
私がしゃべると静かになる瞬間がこわかった。
だからって無口になると
つまらない人だと思われるだろうなぁ
と、考えてしまう。
みんなはすぐに打ち解け合っているのに
私はいつまで臆病になっているんだ。
そんな気持ちになるのがわかっているのに
懇親会には行かないと言えなかった。
そもそもそんな事考えちゃう自分って
優柔不断で相手にすごく失礼だよな。
そんな気持ちで頭がいっぱいになって
もうとにかく無理だった。
なんだか今回はそういう事象が
立て続けに起こって
ずっと気が張り詰めていて
顔がぱんぱんだった。
どうして私はこうなんだろうって思った。
いろんな人の期待に
応えたくても応えられない。
応えられない自分が心底情けない。
自分の意志で選ぶこともせず
選ばないこともしない。
ただ流れに乗っかって
決断しているふりをしている。
気がついたら自分には
なんにも残っていないように思えた。
他人の優しさにつぶれそうになって
心のどこかでいつも相手を疑っている。
ずっとずっと何かを我慢して
勝手に心の中に閉じ込もっている。
たぶんずっとどっかで
感じてたことだったんだと思う。
でも、こわくて踏み出せなくて
それに慣れっこになっていた。
今回久しぶりにたくさんの人と
一気に出会う機会があって
これまでないがしろにして
忘れたふりをしていた気持ちに
真っ向から向き合わねばならなくなった。
ただ、しんどい中でも思うことがあった。
味方は結構いるかもしれない、ということ。
相手の言葉の真意は分からないとしても
私は自分に投げかけられたその言葉に泣いてしまったし
ありがとう、と思った。
励ましてくれる人や
応援してくれる人は必ずいる。
そもそも味方だと思えないから辛いのかもしれない。
あるいは本当に味方がいないなんてことがあるかもしれない。
だけど、私は思う。
味方って近くにいる人、知ってる人だけじゃないんだぜ。
冷静になって考えてみたら
身近に味方はたくさんいるはずだ。
その相手がどんな人であろうとも
出会って間もない間柄だろうとも
なんならお互いに知らなくっても
私が受けた言葉を、相手を信じるだけなのだ。
すぐには変われないかもしれない。
でも何かが変わるかもしれないから。
少なくとも以前の私ではもう、ないのだから。
あまのじゃくな自分は少しだけ捨てていこう。
明日、やっぱりダメだったとしても
味方がいるんだって思えたことを忘れずに。
しんどいこと、情けないと感じたこと
無理に忘れなくていいから
というか、忘れちゃいけないから
数日前の私より
自分から心を開いて
相手を信じよう、と。
そう思えれば
未来は明るい。
答えのない、すこし暗い内容ですが
読んでくれてありがとうございました。
誰かの共感になればと思いかきました。
それでは、また。
やさい