ワーホリ系Youtuberの若者たちを見て思うこと・伝えたいこと
私は、ワーホリ系YoutuberのVlogをを観るのが割と好きだ。いくつかのチャンネルを登録して欠かさず視聴していることもあり、Youtubeは新しいワーホリVloggerたちをオススメしてくれる。おかげで、観るものに困らない状態だ。
それにしても、どうして私は彼らの動画を観るのが好きなのだろうか。
2010年代、つまり私が20代でまだ若かった頃、ワーホリではないが、私も彼らと同じように海外で生活した経験がある。(ちなみに、現在も国際結婚を経て海外生活を送っている。)
彼らの動画を観ると、当時の海外生活を思い出して、ある種の感傷に浸ることができる。これがワーホリVlogが好きな理由だろう。
彼ら、あるいは彼女らが海外で見て感じて経験することは、大抵の場合において私も経験したことがあるものだ。時代や性別、滞在国の違いで多少の差はあるが、日本人の若い子がはじめて欧米圏へ出た際に感じるであろう事は、おおかた似たり寄ったりだ。
交友関係や交際相手のことで悩んだり、渡航先の文化や習慣の違いで生じる誤解や戸惑いなどは、この10年で急激に変化するものではない。
「自分も昔、そんなことを思ったな。」だったり、「分かる。それはあるあるだよね。」というように、Youtube上のVlogを通じて、誰かが感じたことや経験したことを追体験することで、昔の自分をリアルに思い出すことができる。昔の写真などを見返しただけでは思い出しきれない細部まで、自然と脳裏に浮かぶのだ。
20代の記憶は着実に色褪せてきて、段々とディテールを失い始めている。それだけに、鮮明に過去を思い出すことができるのは本当に感慨深い。当時は嫌なことも沢山あったが、総じて言えば、20代の頃の私は海外生活を比較的楽しめていたと感じる。
多くの場合において、若年層の悩みの種となるのは、友人などを中心とした対人関係に起因するものだと思う。実際、Vloggerたちが吐露する悩みの大半は、人間関係にまつわることばかりだ。さて、30代となった今、過去と現在を比較してみると、自身の大きな変化に気付かされる。
当時の滞在国で付き合いのあった海外の友人の大半とは、連絡を取り合う事もほとんどなくなり、SNSで時々「いいね」を押し合う程度の存在になってしまった。かろうじて年に何回か連絡を取り合う友人が数人残っている程度である。
いま現在、各々が暮らす生活拠点が地理的にあまりにも離れ過ぎていて、現在進行形の交友関係ではいられなくなった。また、進んだライフステージが必ずしも一緒ではないため、友人であり続ける為の共通項も次第に減っていくのだから、自然と疎遠にもなってしまう。
加えて、交友関係の広さや、自分の属する刹那的なコミュニティ内での立ち位置が最大の関心事であった20代前半は、とうの昔に過ぎ去ったことも大きい。
30代を迎えてからは、積極的に新しい交友関係を築いていくことが億劫になった。大半の30代の人々と同じように、既存のコミュニティの中で、パートナーと二人で一組という扱いを社会的に受けながら、いくぶん守りに入った姿勢で生きていくことになって久しい。
配偶者という固定された存在がいることで、特に20代前半の頃に覚えた孤独を感じることは無い。(20代前半までは、揮発性の高い交友・異性関係の中で生きることが多く、孤独を感じやすいものだ。)
家族や仕事、お金などが優先順位の上位を占めるようになり、交友関係は以前のような最優先事項ではなくなっている。
今現在も、若い頃と同じように「海外」で生活しているが、海外生活はすっかり日常と化してしまい、当時のように楽しむことはできない。先ほど触れたように、人生の中における優先順位が変化してしまったから、生活スタイルも随分と変わった。家族や仕事、お金が最優先事項となった今、物理的にどこの国で生活しているかは、日常の捉え方に本質的な違いをもたらすものではなくなった。
日本国外で生活することは、すなわち税制や給与水準の変化、自身の社会・経済的信用を測る指標が変化することを意味するだけに過ぎず、外国で暮らすことで生じる変化を、もはやプラクティカルな視点でしか認識できなくなった。
20代の頃(とりわけ20代前半)に海外生活を楽しめた理由は、当時の語学力や現地社会に対する理解度が現在と比べて相対的に低く、ある種の冒険性に転嫁したしたことも大きい。けれども一番大きな要因は、交友関係を最も大事にする時期に、複数の国からやってきた同世代の人間達がその場限りのコミュニティを形成して、その中でもがいたり、あるいはお互いに楽しく時間を過ごすことができたからだろう。
今現在、ワーホリ先(あるいは留学先)で多種多様な交友関係の中で生活して楽しんでいる若者は多いと思うが、彼らも30歳も過ぎれば現地で出来た友人の大半とは疎遠となり、私と同じように「あの頃は…」と、過去を振り返る時が来るのかもしれない。
ただし、最終的に渡航先でできた大半の友人と疎遠になる可能性が高いからといって、そこで生まれた新しい人間関係が無駄であると言いたいわけではない。
今現在、渡航先で所属しているコミュニティだったり、その中で経験していることは、確実に自分自身を作り上げ、構成する一要素として自分の中に生き続ける。一定年齢を超えた後、ある瞬間にふと「自分にも若い頃があったものだ」と振り返ることができるのは、生きていく中で非常に重要だと思う。
当時住んでいた国や街の名前が偶然目について、昔のことを思い出す。若い頃にやり残したことはもう無いと思うことができて、若さに固執することもしないだろう。現在のライフステージを楽しみながら、ふとした瞬間に昔の記憶が蘇って感傷に浸る事もできる。これこそが厚みのある人生と言えるのかもしれない。