なぜフォークダンスDE成子坂は再結成できなかったのか
http://web-mr.net/2018/11/15/自吐・企画回:《当時、解散を止められたのは僕/
自吐の石ダテコー太郎さん回を聴いてあらためて思う。
なぜ再結成できなかったのか。結論としては2人の思いの違い、コミュニケーションの欠如が原因だったのかなと。
■桶田さん
・自縛はあくまで種まきのため。フォークダンスDE成子坂再開に向けての布石だった
・渚さんの活動(路上ライブやピンでのTVでの振る舞いやネタ)がフォークダンスDE成子坂の看板を貶めるように見えていた
・むしろTVなどには出ず、復活を虎視眈々と狙っている姿勢がわかれば、心は動いた
■渚さん
・自分の不甲斐なさから桶田さんがやる気をなくし、愛想をつかされ解散してしまった
・解散を止めるため「謝った」行為が2人を対等ではなく、自分が下だと位置づけてしまった
・そのため、自分が対等な位置まで登り、結果を出すまでは声をかけることをしなかった
・結果を出すために、路上ライブなど泥臭いことを経てまでも、元の位置に戻ろうとした
といった2人の思い、また2人が描く結果が違うゆえのすれ違いが起こっていて、とうとう再結成できなかったのかなと感じました。
だから渚さんが鼻エンジンを組んだときには、もう復活ではなく、松岡さんと新たな道へ、と相当な決意だったんじゃないかなと。
幼馴染でお互いのことをエスパーのように分かり合えた時期があったがゆえに、お互いがお互いを「あいつはきっとこう思ってるはずだ」という思考を疑うことがなかったのか。
「笑い」に関しては通じ合っていたからこそ素晴らしいネタ、ギャグを生み出したのは間違いないですが、「生き方」みたいなところまでは神通力がおよばなかったのかもしれません。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?