「チヅルはSNSで仲良くなったハジメを誘って旅行に出掛けた。 初めてリアルで会うドキドキ…しかし2人を待ち受けていたのはもっと大きなドキドキだった。 島に着くと乗ってきた飛行機は消え、機内で一緒だった人も見当たらない。 ハジメとチヅルは突然始まったサバイバル生活に困惑する。 そんな2人の記録(スケッチ)。」 なんでそんな状況で2人がコントをするの??? まずそこに引っかかるのよなー
藤井ペイジさんの「辞めた芸人に話を聴いてみよう」File.25で、シェイクダウン解散後、後藤さんが渚さんを誘ってイベントをする話。 正式なコンビとしてみたかったなあ イベントレポを発掘 https://web.archive.org/web/20100115010706/http://www.geocities.jp/nagisa_murataya/report.html ↑より転載 ーーー 20010609 アフターライブ 後藤秀樹と村田渚(ゲスト) 後藤秀
なんと、渚さんは鼻エンジン結成前に元ツインカム島根さだよしさんにコンビ結成を持ち掛けていたという話。 フォークダンスDE成子坂解散後、何回かあった再結成のチャンスを双方が断り続けていた裏には、もう戻れない、戻らないという決意があったのかもしれませんね。 島根さんとのコント、見たかったなあ。 GAHAHAキングでのサッカーのネタはじめてみました。 ヘディングのくだりがもう天才。おもしろいよなあ。
94年12月に中京テレビの1時間特番で放送された「成子坂定食」 その中でのミニドラマがこの「ガラスの愛」です。 これが94年に放送されたドラマ(コント)ですよ?! ドラマのセオリーを限界まで裏切った内容は凄いとしかいえません。 当時24歳。すごい才能だったんだなあと改めて思いました。 2人に任せた中京テレビもすごい。 当時一番笑ったのは、場面転換の意味の棒線がスルーするとこだったなあ(どこか探してみてください) こんなボケあるのか!という衝撃と爆笑を覚えています
名作コントが女の子たちの不思議な旅で蘇る『其れ、則ちスケッチ。』プロジェクト 【コント原作】フォークダンスDE成子坂 【コンセプトデザイン】吉崎観音 【構成・演出】石ダテコー太郎 でお届けする、連続ショートコント動画作品です。 歴史の中に埋もれてしまった「名作コント」の数々を、独自の世界観とキャラクターでアップデートし、今の時代に蘇らせます! ーーーーーーーーーー ということで成子坂ファンが期待を寄せる、そしてお笑い界期待のプロジェクト、通称「それすけ」の支援者限定Z
年に1回メルマ契約して1年分一気に読んでます。 解散後の村田さんのことを詳しく知りたい方にはオススメです! しかし、新しい波からとぶくすりへ渚さんだけでも行ってたら、歴史は変わっただろうなぁぁぁぁぁぁぁぁ
自吐リスナーにはぜひ読んでいただきたい内容です。 特に3だけでも。
新プロジェクトってなにかなーと思ってたら、まさかアニメ作品とは! びっくりですが、楽しみですね!
7/31に発表されていましたが、アマゾンミュージックでも聴けるようになったので聴いてみました。 自吐でも語られていた「メロディー」が切ないです。 そして意外に上手かった笑 ここで無料で聴けるっぽい youtubeにもあった 99年のライブレポを発掘したので転載します。 ーーーーー 1999.6.9(WED) 19:00~ The 3cm~LIVE at 渋谷DESEO 今回はTHE 3cm~ 一周年記念のライブ。 姫 ことコアラさんが仕事のため欠席で残念でし
http://web-mr.net/2018/11/15/自吐・企画回:《当時、解散を止められたのは僕/ 自吐の石ダテコー太郎さん回を聴いてあらためて思う。 なぜ再結成できなかったのか。結論としては2人の思いの違い、コミュニケーションの欠如が原因だったのかなと。 ■桶田さん ・自縛はあくまで種まきのため。フォークダンスDE成子坂再開に向けての布石だった ・渚さんの活動(路上ライブやピンでのTVでの振る舞いやネタ)がフォークダンスDE成子坂の看板を貶めるように見えてい
新しい波伝説、ここがフォークダンスDE成子坂の運命を狂わせたのか?もしあのとき、、、とファンの間で言われているのが、とぶくすりのメンバーに入っていれば、その後めちゃモテ、めちゃイケの波にのれていたのではないか、ということです。 こちらのブログより引用 ------------ 2014年1月9日ダイノジ大谷のオールナイトニッポン 大谷「『新しい波』の中で良かった回の人を最後に呼んで。最終回に出たメンバー、ナインティナインさん、勿論今オールナイトニッポンやられてますし国
92年12月に「新しい波」というフジテレビの深夜番組に出演したフォークダンスDE成子坂。 この番組のコンセプトは毎回ディレクターが有望な若手を連れてきて、ネタを披露してもらうというもの。 この情報を映像入手以前にネットで調べていたところ、どうもダイノジ大谷さんがオールナイトニッポンで語ったとされるコメントに出会いました。 ↑こちらのブログから引用 ---------- 2014年1月9日ダイノジ大谷のオールナイトニッポン 大谷「1993年『新しい波』と言う番組があ
桶田さんのポッドキャスト「自吐」の名物回「シナハノ飯」(飯ノハナシという意味)まさに飯の話だけをする回でした。 自吐をリアルタイムで聞いてるときは「ストーリーを進めてくれ!」と思ってましたが、3周目になってくると楽しそうに飯のこだわりを話す桶田さんがおもしろくてしょうがないです。 たくさんのお店が紹介されましたが、一番気になっていたのが東京ダイナマイト松田さんの思い出の店「ロビン」の「カツピラフ」。桶田さんは味だけだと5点をつけましたが、どうしても食べてみたくなり先日行っ
フォークダンスDE成子坂が連載していた雑誌「ログイン」を国会図書館で見てきました。 桶田さんが隠しメッセージを仕込んだという話をしていたからです。 ちなみに国会図書館は無料で、過去の雑誌がイロイロ見れるのでオススメです。 雑誌名 ログイン 2000年2月号 コーナー名「フォークダンスDE成子坂の石頭」 タイトル「Nico & Bus」 これはニコトバス、つまり2個飛ばして読め、という意味です。 このタイトルがあって、2個飛ばしたら意味がわかる文章が書いてあるので
キャッツ氏(当時のホリプロお笑い班の責任者)に無理やり名付けられた「フォークダンスDE成子坂」というコンビ名。 もし2人が希望していた「前みつ」(相撲用語)というコンビ名だったら、どんな運命をたどっていたんだろう。 インタビューとか事あるごとに2人はコンビ名について「気に入らない」「変えたい」と言っていた。 動画でも見たことあるんだよなあ。「コンビ名変えます!」みたいなコメントをしていて。 でも、2人の芸風には「前みつ」より「フォークダンスDE成子坂」の方が合っていた
これもキャッシュから ---------- 99.10.31◆ 東京工芸大学後夜祭◆ 一度、ライブ見てみたかったなあ。 写真UPいただいた方、ありがとうございました。 <余談> 営業って漫才師は強いというかやりやすいですよね。マイク1本、客の反応にもアドリブ入れながらできるけど、コントだと写真のようにマイク持ってやらなきゃいけないし、ある程度静かに聞いてもらわないといけないからなあ。