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「意見共有」の背後には問い

Yononakaは、身近なものをテーマに、参加者同士で意見を共有し、自分の納得解を紡いでいく時間です。今回は「意見を共有する」ことについて、少し立ち止まって考えてみました。

「他人と共有できた」と感じた瞬間はありますか?

私は最近、友達との旅行に出かけ、その後各々の写真を共有したときに感じました。友達が撮った写真を見て、
「こんなん撮ってたんや!」「こんな場所あったっけ?」
と、その時の場面を違う視点から体験したような感覚になりました。また、友達の経験や考えを少しのぞけたようにも思いました。

自分の考えていること感じていることは、他者から直接見ることはできません。だから話す、あるいは書くことを通して伝えることが大切で、そうすれば自分の経験が実は世界の誰かにとっては貴重だった、なんてこともあると思います。

しかしながら、どんなに意見を共有しても、いまいちピンと来ない、何のこと話しているかわからない、こともあります。その場合は往々にして、話の背後にある「問い」が共有されていないことが原因です。コミュニケーションインストラクターの山田ズーニーさんの著書が、その辺りを詳しく紹介されていました。

意見とは、自分が考えてきた「問い」に対して、自分が出した「答え」である。

山田ズーニー「伝わる・揺さぶる! 文章を書く」

たとえば、「ペットを飼うことについて」AさんとBさんが自由に意見を言ったとします。

意見A:私はペットを飼うことで、家族の絆が深まると感じています。子供たちも動物への愛情や責任感を学ぶことができる。 
意見B:ペットを飼う前に、その責任と長期的なコストをよく考えるべきだ。短期間での飼い主変更や放棄が問題となっている。

自由な意見といっても、2人の視座はずいぶん違うことが分かります。それは2人の問いの設定が異なることが原因なのです。

Aの問い:ペットを飼うかどうか?
Bの問い:人はペットを飼っていいのか

このように、意見の裏側には必ず「問い」があります。もっと言うと、その人の「問題意識」です。私たちは普段問いを意識せずに、自分の思っていることを共有します。問いが共有できていない場合は、考える視点が異なるためつながりを実感できず、もやもや感が残ってしまうのです。

会話においてのすれ違いに気づいたときは、一旦立ち止まって互いに問いの確認をし、会話を進めるといいかもしれません。Yononakaでは「共通の問い」を設定しているので、何に対して意見を出すか明確で、意見も深まりやすく、参加者の考えを共有しやすい環境だと思っています。

その参加者同士の意見を共有し合うYononakaの過去回の様子は、下記のレポートで共有させていただいております(笑)

ちなみに、その問いをあえてずらすことで、笑いに変えているのがアンジャッシュさんの「すれ違いコント」です。2人が話しているテーマは全く違うのに、話が重なる部分があって、そのバランスの良さが、面白くて巧妙なすれ違いを作り出しています。ここでは動画を共有できませんが、興味がある方はYouTubeで検索してみてください。

今回は「意見を共有する」というテーマで1人Yononakaしました。感想やフィードバックをいただけますと幸いです。ぜひ、みなさんのなかで意見のすれ違いの経験などをお聞かせいただけますと嬉しいです。引き続きよろしくお願いします。

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