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動きも結果も最も良くなるように期待水準を調整する(1)
いつも何をするにも最高の氣分で最高の動き方で最高の結果を出せたら素晴らしいではありませんか!
わたくしは誠に有り難いことに、何人もの高名な精神科医、しかも病の治療ばかりでなく患者さんの社会生活の再獲得(リハビリテーション)を目標においた精神科医の方々に親しくお付き合いをいただきました。
そこで学んだ事は、この極意塾にもさまざま活かしています。
この「期待水準」についての議論は、やはりある精神科医と語り合った中で出てきたものです。
自他への期待水準が高すぎる人、反対に低すぎる人、それが調整できない人が精神病を抱えた人に多いのではないか……期待水準をコントロールできれば、もっと楽に生きられるし、リハビリテーションもスムーズに行くのではないか、というような議論でした。
これは、わたくし自身にも大いに当てはまることでした(笑)。
過去のわたくしは、一般の人が出来そうにもない事を自分に課す癖がありました。
「何だって必死になってやれば出来る!」と兄たちに言われ、「それはそうだ! 他はどうでも俺なら出来る!」などとすぐ思い込んでしまうのでした(笑)。
自分自身に過剰な期待をかけてしまうのですね。
小学六年生の頃から陸上競技をやり出すと、すぐオリンピックで優勝することを夢想するのでした(笑)。
ところが現実は、中学時代いくらトレーニングしてもいっこうに伸びず、陸上競技は何にも練習していない柔道部の男に、しかも小学生の時には軽く追い抜いていた男に、逆に簡単において行かれる。地区大会のリレーの選手にすら選ばれない。
しかも、練習のし過ぎか、やり方が誤っていたのか、膝を痛めて何も出来ず。
選手で出た走り幅跳びでは、地区大会六位がせいぜいで市大会にも出られない。
自分よりはるかにいい記録で市大会、県大会に勝つ同級生を遠くから眺めて悔しいやら、情けないやらで、激烈なストレスにさいなまれてばかりの惨めな陸上競技人生でした(笑)。
しかし、自分自身の才能のほどを受け入れて、「中学時代は故障しないでほどほどの成績を残す程度で楽しめばよし。ゆくゆくは高校以降で勝負できるものなら勝負しよう。それが駄目でも、長く陸上競技を楽しむ生活が出来たら充分だな」ぐらいの期待水準の調整ができていたら、ストレスは大幅に減ったでしょうし、もっと楽しめたでしょう。
わたくしの場合は、そう考えていた方が、記録も伸びただろうことは明らかです。
そんな経験を抱えて、他の人々を見るうちに、この期待水準の調整がなかなか難しく、ストレスいっぱいの人がずいぶん多いのではないかと思うようになりました。(極意塾投稿No.321)