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独裁者トランプの大統領就任式 - 力による現状変更と新しい世界

日本時間の 1/21、DCでトランプの大統領就任式があり、日本のマスコミ報道は現地映像と話題で埋まった。招待客の配置とか、支持者を前にしての大統領令署名のイベントとか、異例づくめの演出のショーが進行した一日だった。世界中が注目し、テレビでその始終を放送したに違いない。アメリカ人の、特にトランプ支持者は、さぞかし気分がいいだろう。78歳のトランプは元気そのものだ。報道を見ながら思う点は多い。まず何より感じるのは、国境がなくなっていて、自分が住む日本がアメリカ社会の一部になっている事実だ。客観的に言えば、植民地と宗主国の関係であり、従属国の人間が嬉しそうに支配国の首都の皇帝の戴冠式を見ている図だけれど、その概念と説明ではどうも古典的すぎてリアリティがないというか、そうした緊張感なり対峙性の契機がまるでない。同じ空間で生きている感覚がする。日本人もアメリカ人の一部になっている。

例えば、Xの ホーム のタイムライン。どういうロジックとアルゴリズムで編集されているのか知らないが、イーロン・マスクのポストが必ずトップに現れる。トランプ支持勢力のメッセージが流れる。ワクチンとか、移民とか、ウクライナ戦争とか、明らかにマスクの主張や思想に沿って編集されたと思われるポストが多い。英語ポストがそのまま無遠慮に無神経にだらだら流れる。新自由主義の主張ばかりだ。国民民主党と玉木雄一郎を支持するものが多い(この点はマスコミと同じだが)。クルド人叩きの扇動が目につく。私のアカウントは0フォローなので、偏りのないデフォルトの素のタイムラインに近いだろうと想像するが、日本人のXユーザーはこんなものを毎日見せられて情報生活を送っている。1/21 のXトレンド欄から引っ張られるポストは、ネオリベ右翼の日本人が、トランプ新大統領就任を奉祝し歓喜し、左翼叩きして愉悦し咆哮する声で溢れていた。

われわれは、アメリカの一部になっていると同時に、もっと狭い、E.マスクやJ.ベゾスの支配する小宇宙に住む羊のような群衆になった。市民としての主体性と独立性と可能性が失われ、本来、地に足を着けて立つ共同体(日本)の一員の属性を剝ぎ取られ、X や Amazon の資本主義の小空間で生息して収奪される奴隷になっている。PCのネット画面やスマホに繋がれた矮小で愚弱で卑屈な奴隷だ。彼らに貢いで消費するだけで毎日暮らしている。わずかに自由を持っているのは、マーケットで株を転がして億単位の資産を持っている富裕層だけだ。山上憶良の貧窮問答歌の一節に、「天地は広しといへど 吾が為は 狭くやなりぬる」という悲嘆があるけれど、まさにこのとおりで、新自由主義が改造して成った世界と私とはこの関係が当て嵌る。おそらく、地上の何十億という人々の心境が同じだろう。その意味は、一握りの圧倒的な富裕者と膨大な貧困者が分かれたという現実である。

トランプは「就任初日は独裁者になる」と言ったらしいが、まさに独裁者のイベントだった。トランプはDCで育った政治家ではなく、議会や地方での政治経験もない。生涯ずっとワンマン経営者のみ。78歳で敵なしのトランプの持論は、もともとアメリカを独裁国家にすることで、民主主義のルールやシステムは邪魔な障害物なのだ。息が合う指導者はプーチンや金正恩のような独裁者だけであり、民主主義政治の模範的リーダーであるメルケルと最も仲が悪かった。トランプが安倍晋三と昵懇だったのも、安倍晋三が愚昧で我儘な独裁者だったからである。この点について日本のマスコミは正確な分析をせず、安倍晋三への美化礼賛に徹しまくっている。どれほど間抜けだろう。安倍晋三の資質が民主主義政治の理念とは乖離していて、似た者同士で、知性や教養のない幼稚な世襲小僧だったからこそ、トランプはかわいがったのだ。

昨年の国際政治を振り返って総括しようと考えつつ、中居正広の醜聞などに脇見してもたもたしていたら、急にトランプが舞台に出て来て、グリーンランドやらパナマ運河への野心を言い出し、新年の国際政治の注目を一気にかっさらう幕となった。トランプ2.0の始動に世界の関心を集中させるための戦略と演出だとしたら、非常に有効な発信だったと言える。グリーンランドとパナマ運河の領有について、私はそれをトランプの思いつきの冗談だとは思っていない。本当に実行する可能性が十分あるし、4年後は実現していておかしくない。トランプは、現在の合衆国の民主政治を機能させているアメリカ憲法を、解釈と運用で改憲して独裁国家にするべく意図しているが、それだけでなく、戦後の世界秩序をも破壊して新世界(ニューワールド)を実現しようと目論んでいる。国連憲章を踏み躙ってUNを壊すことや、WHOやWTOを破壊することがそうである。トランプとE.マスクはまさに革命を起こしている。

トランプの眼中に「武力による威嚇又は武力の行使」を禁じた国連憲章の条文はない。一方、トランプによるグリーンランドおよびパナマ運河の領有宣言に対して、あるいはWHO脱退に対して、どうやら国連は何も文句を言っていない。ネットを検索してもグテレスからの批判の反撃はなく、黙過して容認したままだ。存在感がまるでない。デンマーク首相の反論も腰が引けていて、グリーンランドをアメリカに売り渡す取引に応じる気配を滲ませている。いずれ、アメリカとグリーンランド自治領政府とデンマークとの三者で協定が結ばれ、アメリカの属州に移行する方向性が浮上するだろう。EUは反対だろうが、そのEU自体が動揺し今後変化する可能性が高く、独も英も仏も、揃ってトランプと親和性の高い極右勢力が政権を握りそうな状況になっている。今年に入って、E.マスクによるに対する内政干渉は凄まじく、トランプの片腕として、欧州全体を極右化する外交攻勢を臆面なく露骨に仕掛けている。遠慮がない。

あと1か月後にドイツ総選挙があるが、その結果が世界の分岐点になるだろう。1/21 の日経の記事ではAfDが支持率2位となっていて、トランプに重ねたAfDのスローガンに若者が熱狂していると言う。トランプの1期目にはメルケルがいて、穏健と良識のシンボルとして欧州を束ねていたが、今はそうした有能なリーダーがなく、欧州全体の政治意識が極右色に染まっている。マスコミの一般的論調では、トランプがプーチンとボス交政治を演じ、ウクライナ戦争を停戦に向かわせるという見方が多いが、私は悲観的で、ロシアとNATOとの本格的な戦争(第三次世界大戦)に転ぶのではないかという不吉な予感を抱く。トランプもマスクも外交を知らず、他者の価値観や生存権に配慮がない。CIA的な認識からすれば、疲弊しきったロシアはあと一歩で崩壊に追い込める末期段階にあり、その誘惑にかられているに違いない。AfDとドイツ極右も同じで、この機にカリーニングラード(ケーニヒスベルク)を取り戻せという衝動に疼いている。

イスラエルとハマスの停戦にトランプの影響力があったのは事実で、トランプの指導にネタニヤフが従った点は事実だろう。だが、この問題についても私は悲観的で、停戦が恒久化するとは思えない。人質をある程度取り返した時点で、イスラエルは再び「ハマスが約束を破った」と口実をつけ、パレスチナ人の虐殺を再開すると予想する。ネタニヤフが停戦に応じたのは、ゴラン高原領有の承認や米大使館のエルサレム移転で世話になったトランプへの恩返しと、大統領就任式にご祝儀を贈る意味の政治だったのだろう。一昨年10月以来、トランプはずっとイスラエルのガザ攻撃を支持し、大量虐殺を容認し正当化する発言を繰り返してきたし、トランプ支持層のコアはいわゆる宗教右派で、最も強硬なイスラエル寄りのタカ派である。イスラエルのガザ問題解決のプログラムは、とにかく殺せるだけ殺しまくって住民の人数を減らし、残りをエジプト国境外の砂漠に追い出すという目標と計画しかない。ガザを再建するとか一緒に共存するという考え方がない。

今年、おそらくイスラエルが本格的にイラン攻撃を仕掛けるだろう。米軍も支援するだろう。ハマスとヒズボラを殲滅したのと同程度に、イラン革命防衛隊を叩き潰すと思われる。昨年は、バイデン政権の勧告を容れてイラン核施設への攻撃は思い止まっていた。が、そのときも、トランプは核施設攻撃をやれとイスラエルを煽っていた。一般には「戦争が嫌いなトランプ」という表象が独り歩きしているけれど、イランに関してはこの想定は当て嵌まらない。1期目の2020年1月、イランの国民的英雄である革命防衛隊司令官ソレイマニを、あっさり空爆で暗殺した衝撃は記憶に新しい。CIAはイランがアメリカに報復する可能性はないと判断したのだろうが、戦争に消極的なはずのトランプがよく裁可したものだと当時は驚いた。ロシアや中国は大国で核保有国だから軍事攻撃には出ないが、相手がイランだと平気なのである。また、イスラム教の国に対しては容赦がないのだ。ネタニヤフも、戦争を続けてない限り首相の地位を保持できないという事情がある。

中東(西アジア)の地図はすっかり塗り替わった。中東諸国に住む人々にとっての世界は大きく変わり、軍事大国イスラエルの恣意と暴力と欲望が支配する世界となり、ただそれに恐れ慄き、イスラエルを怒らせぬよう機嫌をとって黙って俯いて生きるだけの日常となった。誰も抵抗する者がなく、そこに何の歯止めもない。近代世界の達成と前提に思えた人権もなく、国際法の秩序と保護もない。そして、彼らにとってのイスラエルが我々にとってのアメリカだ。それは、第二次大戦前の欧州での、ナチスと一般市民との関係に似ている。ガザについて note でも Xでも何も書けなくなった。関心が薄れたわけではない。悲惨な情報を目で追いながら、ただ祈っている。大魔神の埴輪石像の前で手を合わせて救済を懇願した少年のように。神様、どうかパレスチナをお救い下さいと。小説『クォ・ヴァディス』に登場する、古代ローマの地下のカタコンベで迫害時代のキリスト教徒が密かに祈りを捧げるように。

貧しく弱く小さな者にとっての宗教や信仰とはこういうものかと、最近よく分かるようになった。今はそういう時代だ。そういう時代に老いて遭遇した。審判の日が来ること、奇跡と逆転と救済の日が来ることを信じて守護神(デーモン)に祈っている。


 

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