終戦の日の全国戦没者追悼式 - 平和憲法の国家式典、台湾有事後に廃止の運命か
終戦の日の式典で天皇がこう言っている。
毎度のルーティン・トークを退屈に聞き流していたが、今年は少し真面目に文言に接する気分になった。現上皇が読み上げていたときは、威厳を感じて言葉が説得的に耳に入り、標柱の前に立つ二人の真剣さがよく伝わった。今の天皇になってからはそれが失せ、いかにも形式的な挨拶の響きと流れになり、言葉に神聖さを感じなくなっていたが、今年は別の意味で重い意義を感じてしまった。その理由を具体的に説明すると、台湾有事が始まった後、「戦後の長きにわたる平和な歳月に思いを致し」とか、「再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願い」の文言はどうなるかという問題に想像が及んだからだ。
意味がなくなる。天皇が読み上げる言葉として妥当性がなくなる。この文言は読み上げられなくなる。台湾有事は日米同盟が中国相手に戦う本格的な戦争で、開戦の火蓋が切られれば、数日の間に自衛隊員の戦死者が出るだろう。しかも、一人や二人ではあるまい。台湾近海で中国軍と交戦した海自艦隻が被弾して、作戦任務中の隊員が犠牲になる。開戦から8月15日までの間に相当数の戦死者が出て、戦争は現在進行形の国家の重大事になり、回顧して反省すべき過去の出来事ではなくなる。天皇の「おことば」も、全国戦没者追悼式の催行も、前提から悉く意味を失ってしまう。そう考えると、マンネリのルーティン式典だった全国戦没者追悼式も、意味のある国家行事だったことが理解できる。これは、地味ながら憲法9条の国家行事だったのだ。その真実にようやく(還暦も遠く過ぎて)気がついた。
天皇が出席して厳かに「おことば」を述べる式典は、考えてみれば、年に1回、8月15日の戦没者追悼式だけしかこの国にはなかった。そしてその「おことば」の中身は、戦争の反省であり、平和への誓いである。つまり、日本国憲法の前文の宣言が準えられている。日本国は、8月15日の戦没者追悼式の形式で、毎年毎年、国家の基本である平和憲法の精神を誓い、国民全員で再確認していたのだ。8月15日の儀式こそが平和憲法の姿と形だったのである。そのようにあらためて再認識すれば、自分はずいぶんこの儀式に横柄な態度をとってきたと悔悟の念を覚えさせられる。子どもの頃、実家の祖父母がこの儀式を正座して視ていたのを思い出す。当時、そうした人々は多かった。私はそれを怪訝な気分で後ろから眺めていて、戦争責任者である昭和天皇が主役で登場して敬われる絵が納得できなかった。
今年2024年は、3年前の2021年3月、当時米太平洋軍司令官だったF.デービッドソンが米上院軍事委の公聴会において、6年以内(2027年まで)に台湾有事が起きると宣告して4年目の年である。約半分の時間を過ぎ、台湾有事の勃発は3年後に迫った。今年3月、米インド太平洋軍司令官のJ.アキリーノが同じ米上院軍事委の公聴会に出席、この見通しを再確認する証言を行っている。台湾有事の計画と日程は変更されておらず、目標に向けて着々とロードマップが進んでいる事実を内外に明らかにした。この3年間 - 戦前の期間になるわけだが - 本当に大きく事態が進捗した。外交の方面では、21年9月にクアッドが立ち上がり、日米はインドを反中陣営に組み込むことに成功した。今年4月にはフィリピンの取り込みにも成功、対中包囲網の枠組み作りとして、日米比3か国首脳会談を始めて開催した。
2021年9月にはオーカスの枠組みも立ち上げた。今年7月には日豪NZ韓のIP4という枠組みも始動させ、安保外交上の連携を深めている。また、日米同盟側にとって最も重要な外交上の中間目標であった、今年1月の台湾総統選において、反中派の民進党を勝利させることに成功した。外交プログラムは完璧な首尾で、対中戦争を勝利に導く布石と布陣を整えている。他方、軍事の方面を見ると、22年12月に岸田内閣が安保3文書を閣議決定、軍事費を倍増、5年間で43兆円の予算を注ぎ込む政策を決定した。その中で特に肝要だったのは敵基地攻撃能力の保有の決定で、戦後長きにわたって続けられた、憲法9条解釈改憲の肝と言える、敵基地攻撃能力の是非の論争についに終止符が打たれた。すぐさまトマホーク400発の購入が決まり、昨年10月には配備計画が前倒しされ、今年1月に契約締結となっている。
来年2025年からトマホークが配備される。マスコミ報道では400発は海自のイージス艦に順次搭載される予定で、現在横須賀で隊員に導入教育が実施されている。地上発射型については、防衛省・自衛隊は陸自に国産の12式地対艦誘導弾を配備する思惑らしく、26年度に九州(由布市)に配備予定と報道させている。同時に地対地の高速滑空弾も配備するとあり、開発と展開の速さに驚く。南鳥島を陸自がミサイルの射撃場にするらしい。全部トマホークにするのは困りますと三菱重工が泣きついたか、よしよし43兆円もあるんだから分け前をあげるよと防衛省が言ったか、あるいは、フィリピンに地上発射型を配置しなくてはいけないから、米産のトマホークの数が足らなくなった可能性がある。いずれにせよ、5年前には考えられなかった別世界の事態になり、憲法9条を抱えたまま、日本は一気に攻撃ミサイル大国となった。
7月末に東京で開かれた日米2+2では、核の拡大抑止が共同文書に明文化され、事務レベルだった拡大抑止の協議が閣僚級レベルの会合に引き上げられた。日米同盟における事実上の日本の核武装の決定プロセスである。発表された文書には表面的な事項しか書いてないが、おそらく秘密文書があり、中身はトマホークへの核弾頭の装着だろう。また、陸自の国産地対地ミサイル(三菱重工)に核弾頭を装填する計画にも触れているだろう。日本自衛隊におけるINF(Intermediate-range Nuclear Forces)の確立であり、日本の核武装である。さすがにクリティカルな問題なので、具体的な情報は漏れて来ない。ただ、広島と長崎の原爆の日の前のタイミングを選び、拡大抑止の共同文書を出し、その内実を示唆した。日本のマスコミは何も批判も詮索もしなかった。アメリカからすれば、通常弾頭のトマホークじゃ無意味だろうというのが本音だ。
いざ中国と戦争本番となった場合は、この中距離ミサイルが攻撃の主力となるのは確実で、報道の表面からも2026年に日米同盟側の攻撃準備が万端となる想定が窺える。トマホークと12式で、中国海空軍の装備と基地の先制無力化に成功すれば、そこで戦争は日米同盟の勝利であり、台湾独立を確定させ、新疆・西蔵の反政府派によるPRC分離蜂起、中国共産党政権の瓦解という展望に繋げられる。私は、戦争は必ず起きると何年も前からずっと言っていて、その分析と認識を変えてない。日が経つほどに開戦はリアルになっている。CIAは来年中に台湾で騒擾を発生させるだろう。日本国内では9条改憲が現実の動きとなり、①徴兵制と ②スパイ防止法と ③靖国国営法が制定されるに違いない。改憲が果たされ、①と②と③が現実化したときに、台湾有事などあり得ないとか、中国との戦争は絶対に起きないなどと言っている者はいないはずだ。
戦争は、国家が準備して国家が始めるものである。その真実を、われわれはずっと言ってきたし、ずっと言われてきた。中国との戦争のために、どれほどアメリカと日本は準備を積んできただろう。アメリカは、21世紀も覇権国の地位を維持するために中国と戦争をする。武力を使って戦略的にその目的の達成に動く。米中戦争の必然性については、10年以上多く本が書かれてきたし、アメリカ国内の世論も大きく変わった。アメリカ国内で中国は悪魔視され、共産中国は絶対悪の存在として否定されている。10年前はそうではなかったが、アメリカの認識と方針が変わり、国力資源のすべてを共産中国の打倒のために傾けるようになった。日本国内については多弁は無用だろう。中国との関係について、最早、理性的に対話しようという空気はなく、戦争で決着をつけるのみという敵愾感情に染まっている。靖国神社の思想と存在が一般的な性格を持つに至ってしまった。
日本の国内で、台湾有事(中国との戦争)についてあまりに危機感が薄い問題については、声を枯らすように幾度も論じてきた。戦争が目前に迫っているのに、それを回避し阻止しようとする政治運動がなく、危機を正視する言論がない。左派や護憲派に影響力の強い論者が、逆に、台湾有事は起きないと否定する主張を繰り返していて、左派の中で危機感が盛り上がらない。戦争は国家がレールを敷いて始めるものだと、左派は自ら警告しながら、台湾有事については盲目と無視に徹している。この問題について、内田樹と田岡俊次を取り上げて別に論じよう。さて、終戦の日の全国戦没者追悼式はどうなるだろうか。シナリオはできているだろう。おそらく、武道館を舞台にした全国戦没者追悼式は中止になる。代わって、靖国神社を式場にした英霊鎮魂の式典が挙行され、天皇と首相と閣僚全員、陸海空統4幕僚長、総合指令部司令官、在日米軍統合司令部司令官、駐日米大使が出席するはずだ。
そのときは戦時下である。国内は沸騰している。式場には戦死自衛官(もう自衛隊ではなくなっていて日本軍兵士の位置づけだろうが)の遺族が呼ばれ、靖国神社の宮司が戦死者を合祀する面妖な軍国主義の祭礼儀式を執り行い、NHKがそれを全国中継するだろう。実況は和久田麻由子、解説は御厨貴と櫻井よしこだろうか。各家庭での日の丸掲揚とテレビの前での黙祷が奨励されると思われる。今からわずか3年後の日本である。内田樹に感化されて平和ボケに浸っている左派の多くは、3年後のその図の出現を信じられないだろう。この予想と警鐘を 陰謀論 として一蹴するだろう。一方、この国でマジョリティとなった親米右翼は、逆にその図にリアリティを感じ、3年後という距離感に確信を覚えているはずで、早くその瞬間に立ち会って、国家のレジームが転換した、すなわち自らの政治思想が勝利した地平を実感したいと渇望しているに違いない。
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