ゴルバチョフ批判では論理と立場が同じだった中国共産党と日本共産党の固陋
ゴルバチョフの死に際して日本共産党が沈黙している。しんぶん赤旗にも記事がない。志位和夫のツイッターにも何も発信がない。黙して語らず、見ざる言わざる聞かざるを決め込んでいる。ネットで情報を探すと、8月31日に穀田恵二が会見で対応した動画があり、右翼が揶揄的に編集して上げていて、それを見ると「沈黙」の意味が了解できる。「覇権主義を踏襲したソ連共産党の中心人物であった点を思い浮かべます」と言っている。簡単に言えば、日本共産党にとってゴルバチョフは面倒な人物であり、論評は避けて通りたいのが本音なのだ。意義づけを論じ始めると自家中毒になるからである。
日本共産党は、ゴルバチョフとの関係において脛に傷を持つ身なのだ。一般的には、世界はゴルバチョフの功績を高く賞賛している。冷戦を終結に導いた偉人だと讃え、ソ連・東欧の暗黒に自由と民主主義の風を吹き込み、20世紀の歴史を大きく変えた巨人という評価になっている。この認識と意義づけは普遍的で不滅のものだろう。だが、その積極的評価を言う前に、ネガティブな評価を言う一部がいる。その代表が中国共産党だ。環球時報英語版は、ゴルバチョフを「西側諸国の制度をむやみに『崇拝』してソ連の独立性を失った」と批判、「社会主義を壊した反面教師」という規定を与えている。
実は、日本共産党のゴルバチョフ評価は、この中国共産党のゴルバチョフ批判と中身が同じで、「社会主義の裏切者」という規定が基本的に維持されている。つまり中国共産党と見方が同じなのであり、同じ思想的基準からの糾弾をゴルバチョフに加えてきた過去があるのだ。その認識をこれまで変更しておらず、だから、追悼時に不都合なのである。死に及んで、公式な評価を言挙げすることができず、口籠らざるを得ないのだ。日本共産党がゴルバチョフをどう叩いてきたかは、資料がネット上にあり、動かぬ証拠が残っている。1991年の「ソ連共産党の解体にさいして」の声明を抜粋しよう。
こんな愚論を公式見解で述べている。執筆は不破哲三だろうが、志位和夫は書記局長だった。果たして、今、この文章を正視できるだろうか。現在の日本共産党の立場からも、世間の政治常識からも、あまりにアナクロニズムでドグマティックな言葉と主張が列挙され、違和感が甚だしく、鼻白む気分にさせられる。現在、日本共産党は、科学的社会主義(マルクス・レーニン主義)はおろか、社会民主主義まで飛び越えて、ほとんど米国民主党左派の日本支部かと見紛うほどの、緩いプログレッシブ党の存在になっている。実質的に、社会主義の放棄(党名と綱領の改変)を腹蔵し予定しているとしか見えない。
だが、今から30年前に、こんなスターリン主義的な(現在に即して言えば習近平的な)態度で、先鋭で峻烈なゴルバチョフ批判をやっていた。今の日本共産党は、30年前のこの声明を正当化できないだろう。この観点を維持できないはずだ。手元に『日本共産党の七十年』という中央委が出した二冊本があり、下巻に不破哲三が88年に行った「新思考外交」に対する辛辣な批判がある。煩を厭わず以下に紹介しよう。それにしても、丸山真男の『闇斎学と闇斎学派』ではないが、何でこのように料簡狭く、この集団は、オレが正統、お前は異端と、宗派の正邪論争を根詰めて展開するのだろうかと呆れる。
等々、書いている。転載しながら気が滅入ってくるが、こんな具合にレーニンを金科玉条として崇めたて、レーニンで理論武装した自我になって、ゴルバチョフを逸脱だ日和見だと批判していた。何か、嘗てのアルバニアのホッジャのソ連批判を聞くようであり、古(いにしえ)の朝鮮朱子学が中国批判する小中華主義の態度を見るようで、滑稽で虚しさと情けなさを覚える。ゴルバチョフはさぞかし片腹痛く感じたことだろう。結局、不破哲三の日本共産党はレーニン主義を揚棄する次第となり、レーニンは神様ではなくなり、絶対的な聖典の地位から落ちた。さて、そうなった今、ゴルバチョフの「全人類的価値」と「新思考」はどういう位置づけになるのだろう。
30年前、ゴルバチョフを応援していた私は、社会の片隅で、この日本共産党のゴルバチョフ批判を小耳に挟み、大いに憤慨し失望したものである。誤っていたのはどちらなのか、今では明瞭だ。この頃には、グラスノスチの成果と影響で、レーニンの歴史的実像が証拠を付して次々と明らかにされていた。日本国内でも、藤井一行や中野徹三らが新史料を元に精力的な研究を展開し、左派世界でのレーニン相対化は十分に進んでいた状況にあった。ゴルバチョフこそ救世主の出現であり、左派がゴルバチョフを支持すべきは当然のことだった。ゴルバチョフを「無原則的誤り」などと罵倒しながら、30年経って、日本共産党の現在のとめどない無原則的右傾化は何なのだ。
教条主義に盲目的にしがみつき、レーニンを無謬視して偶像崇拝していたから、局面が変わったとき、坂道を転がるように右傾化するのである。本来、科学的思考を持っていれば、レーニンを観察分析して疑うこともできたはずだ。共産主義をドグマにしカルトにするかどうかが、共産主義が全体主義に化けて堕するかどうかの分かれ目である。「全てを疑え」と言ったのはマルクスで、科学が看板の思想ではないか。ゴルバチョフは柔軟で、教条主義の惰性と固陋に陥らず、共産主義に生命力を与える挑戦に取り組んでいた。政治家として、政治理論家として、ゴルバチョフの方が不破哲三より慧眼で明晰で、優秀で有能だったという結論になる。あの頃インターネットとブログがあれば、若い私はそう書きまくっただろう。
浅井基文が、ロイターのゴルバチョフ関連の記事を紹介していて、その中にポーランド元大統領のレフ・ワレサの言葉があって注目される。78歳。最晩年という年になった。
ワレサの言葉はよく理解できる。そして、この言葉はゴルバチョフの思想の本質を示している。同志だったライサもミハイルと同じだった。ポーランド自主管理労組「連帯」の委員長。グダニスクのレーニン造船所で反乱を起こしたこの英雄を、大学生だった私はどれだけ熱心に応援したことだろう。ゴルバチョフはワレサの次に来た男だった。ワレサの共産主義批判は当っている。正鵠を射ている。だが、ゴルバチョフはマルクスと同じ理想主義者で、人間は不可能に挑戦し、理想を追求する中で自らの限界を克服し、不可能を可能とする生きものだと純粋に信じているのである。青年の精神のまま。一方、ワレサは、共産主義はスターリン主義に帰結するしかないと冷静に判断している。
ゴルバチョフは、大国主義だの覇権主義だのとは全く無縁の指導者だった。理想とヒューマニズムから政策を導き出す政治家で、教条にもとらわれず、世界にとって、人々にとってベストの方向を選択しようとする人間だった。民主主義についての考え方は、丸山真男の民主主義論に似ている。体制に還元されるフクヤマ的なリベラルデモクラシーの民主主義ではなく、ソビエトの国家体制の中でも情熱的に要求し追求するという民主主義だった。ゴルバチョフにおいては、共産主義と民主主義は矛盾する概念ではなく両立したのだ。ゴルバチョフの政治理論を大国主義だの覇権主義だのと、どこからそんな言い草が出てくるのか理解できない。被害妄想の言いがかりである。
ゴルバチョフ批判の誤謬について、不破哲三は後悔と自己批判をしているのだろうか。やり残している宿題なら、躊躇せずに言葉を残してもらいたい。それが社会科学の理論と政治思想に生きる者の責任である。ゴルバチョフの「新思考」こそを社会主義の新しい指導理論として認め、社会主義をメタモルフォーゼする模索として歓迎し、積極的に学び採り入れ、党の組織と運動を新しく再生させて行くべきだった。