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週刊文春に対して反論も提訴もできない松本人志と吉本興業 - 焦点は性上納システム

松本人志の事件。直観として、吉本興業と松本人志は週刊文春を訴えることができないのではないか、民事訴訟の断念に追い込まれるのではないかと見ている。現在は、マスコミに登場するすべての観測や評論が、松本人志が文春を名誉毀損で訴えるという前提で語られていて、私のような懐疑的な見方をする者は一人もいない。平日や週末のワイドショー番組も、すべて「裁判はどうなる」という提起と進行で制作され、弁護士を登場させて解説させる構成になっている。なぜ訴訟を起こせないと思うか。答えは簡単で、裁判しても松本人志が負けるからであり、吉本興業に不利になるだけだからである。松本人志の性加害の事実は明白で、被害者が生々しい現場の状況を証言したとき、その真実相当性を退け、松本人志側の言い分を認める裁判官がいるとは到底思えない。裁判所は松本人志の性加害を認め、そこで真実が確定する。

週刊文春の報道は2週続き、性加害を告発した女性は5人となった。文春の連載は続き、被害者として新たに登場する女性はさらに増えるかもしれない。文春の側は、弁護士が周到に戦略を練った上で記事を書いている。そして、この問題は国民の関心がとても高く、その高さが X のポストの閲覧数の多さに現れている。事件に関連して注目を集めた投稿には、すぐに数万数十万の閲覧数がカウントされる。このことは、松本人志の事件で特ダネを発掘して掲載すれば、週刊誌は飛ぶように売れるという市場の存在を意味する。この市場は大きい。稼げる。したがって、FLASHとか女性自身とか週刊現代とか、他誌もその市場競合に参入して売上を得ようと奔っておかしくない。また、この事件に関係し、いかにも醜聞ネタの漏洩・提供に繋がりそうな吉本の著名子分芸人も多く、週刊誌は他の被害女性の新証言を得やすい環境にある。

週刊文春の記事が出て3週間経ったが、明らかに確認できるのは、松本人志の弱腰であり、吉本興業の陣営の腰折れと混乱である。まず第一に、松本人志が、ワイドナショーに出演すると 1/8 に言いながら 1/10 に撤回に追い込まれた。第二に、今回の事件の女衒役として名前が上がった小沢一敬が、所属事務所を通じて「これまで通り活動を続けてまいります。なぜならば、小沢の行動には何ら恥じる点がないからであります」と 1/9 に開き直りながら、急転して 1/13 に芸能活動自粛に追い詰められた。活動を続けると世間の前で喋らないといけないからであり、話の辻褄が合わなくなるからで、女衒の事実と性上納システムの真相が明白になるからだ。第三に、「飲み会」の事実を認めたたむらけんじの 1/10 の発言は、「当該事実は一切ない」と全否定していた吉本興業の公式見解と齟齬があり、吉本興業の法的対応のガバナンスが不安視されている。

Xのタイムラインを見ても、次第に松本人志を支持し応援する声が小さくなっている印象を受ける。もっとも、堀江貴文、辛坊治郎、立川志らくなど、一貫して文春叩きの論陣を張る、右翼ネオリベ系・維新安倍系のエバンジェリストの存在があり、それに靡いて「言論闘争」を続ける松本信者も依然として多い。現状、吉本興業と松本人志の側は、週刊文春が告発した内容を「事実無根」として全否定する姿勢から、徐々に防衛ラインを後退させ、焦点を性加害行為の有無に狭め、その局所で争う作戦に変更しているように見える。そうすれば問題をウヤムヤにできると踏み、姿を消して時間稼ぎで逃げられると考えているからだろう。だが、事はそれほど簡単ではないようで、1/14 のTBSサンデージャポンに出演した細野敦は、他の意見とは違うコメントを発し、松本人志側に厳しい観察を示していた。細野敦は、裁判所は性上納システムに着目すると予測を述べた。

現在のところ、マスコミ(ワイドショー)の解説と論調では、裁判は吉本興業・松本人志側が起こし、週刊文春は防戦する側だという構図になっている。賠償金が多額になるなどと言い、週刊文春を脅す議論が横溢している。だが、私は松本人志はすぐに提訴できないと考えるし、仮に裁判になっても、裁判所が性上納システムの存在を焦点にするという細野敦の分析が現実になると予測する。この事件全体を客観的に見たとき、不法行為は、明らかに松本人志と軍団の性上納システムにあり、その性加害の汚い手口にある。週刊文春の松本人志への名誉毀損にはない。今回の告発は、公共性があり公益目的に適うものと判断され結論されると確信する。松本人志の性上納システムは、8年前に終わってはおらず、現在も続いているもので、過去長い間各地で被害者を出し続けてきた悪弊だ。性加害の常習発生装置と言える。したがって、事件の本質的性格は民事ではなく刑事である。犯罪だ。

松本人志が隠れて顔を出さなくなったのも、犯罪の自覚があり、自己の正当性を言い張れないと認めているからだろう。女衒役の芸人たちも同様だろう。闇世界の伝統的悪習である性上納システム。それを松本人志と子分たちが常態化させていた事実を疑う者はいないだろう。潔白だと信じる者は一人もいないはずだ。証拠もボロボロ出るだろう。問題は、その性上納システムを合法と見るか違法(犯罪)と見るかの認識の差であり、嘗てはそれは「どっちもどっち」の問題だと判定されてきた。つまり、芸能界に入って売り出したい女の子が、下心を出して「虎穴に入らずんば虎児を得ず」の行動に出た上での失敗と損害だから、自己責任であるという冷徹な総括である。ホテルの部屋などに安易に入るのは本人の過失だという常識論だ。その論理と通念と裁断によって被害者が泣き寝入りを余儀なくされ、加害者が免責放免されてきた。だが、現在はそうした「常識論」は通用しなくなっている。

伊藤詩織や五ノ井里奈の闘いの実績と成果により、社会が変化し、性暴力についての意識が変わり、嘗ての常識が常識ではなくなった。法制度(刑法)もジェンダーの潮流で改築された内容に変わっている。松本人志の性上納システムが証拠づけられたとき、その手口と行為が性犯罪だと認定されないという想定は難しい。同意の上での性交渉であると、裁判所が寛容に認めるという見通しと決着はないだろう。私は、今回の文春の告発については、周到に準備されたものであり、被害者(複数)の側に女性弁護士が付いていて、吉本興業側の動きに対応したランダムな法的措置を検討していると推察している。どこかの時点で、時効になってない案件の被害者が被害届を提出し、刑事事件になる可能性が高いのではないか。仮にそうなった場合、この件(性上納システムによる松本人志の性暴力)が無罪放免の判決になるとは考えにくい。細野敦の解説から推し測ると、そうした司法的展開が想像される。

今度の事件の法律論としては、それが正しい観点だ。文春の記事では、女性たちから子分芸人がスマホを没収したとか、松本人志が「俺の子ども産めや!」と言って迫った事実が報告されている。暴力性と強制性の契機が露骨かつ明瞭で、いかにも闇世界 ー スーフリとか悪質体育会系とかでも類似する表象の ー 集団犯罪の断面と属性がくっきりだ。松本人志自身が、その関係と行為を不同意性交と自覚していて、虐待的要素を愉悦して快楽を得ている真相が透けて見える。この欲望の満足はお金では買えない。市場での買い物では手に入れられない。暴力という違法な手段を使わないと調達できない。そのため、子分を使い、システマティックに組織を動かし、欲望の対象たる獲物を餌を臭わせて釣り、仕留める漁色回路に誘導するのである。松本人志の性上納システムはそういう性質と構造のもので、したがって性被害を生み続ける。

その松本人志を、NHKは昨年10月に性教育番組の司会進行として起用していた。どこかの時点で、満を持してBBCが松本人志の問題の特集報道をするはずだが、そのときは、NHKの性教育番組の放送も焦点になるだろう。BBCがどのように批判し、NHKがそれに対して反応するか注目される。


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