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組織的・構造的・常習的な性上納システムと性加害 - 松本引退、吉本解散、維新崩壊

週刊文春が松本人志事件の第一報を出して3週間が経った。ネットマスコミの記事がやたら多く目につく。どうでもいい、中身のない、読んで意味のない、くだらない記事が多い。相変わらず「裁判はどうなる」と、提訴を前提にした書き方をしている。ネットを読み齧って拾い集めた情報を、浅薄に並べただけの塵屑の文字列を「記事」に仕立てて売っている。まともに問題を掘り下げる知性や思考力がない。弁護士の肩書きの者ですら、本当に法律知識があるのだろうかと訝ってしまう、表面を撫でただけの愚論を書いていて鼻白まされる。売れるから粗悪な文字列をテキトーに埋めて配信している。去年の土佐市カフェ事件の言論空間を想起させられる。現在までのところ、私のように、松本人志と吉本興業は提訴断念に追い込まれるだろうと予想を立てている者は一人もいない。

松本人志と吉本興業が週刊文春を提訴するなら、記者会見を開いて発表しないといけないだろう。訴状の内容も公開しないといけない。果たしてそれができるのか。現時点で記者会見は開かれておらず、予定も示されていない。1/14 にワイドナショーという自分が仕切っている生番組に出演し、一方的な釈明(週刊文春と被害者女性に対する批判の口上)を流し、支持世論を盛り上げようと企んだのだが、内部で揉めて頓挫した。強行すれば二次加害になるからであり、ボロが出るからであり、逆効果になるからだ。吉本興業の弁護士から、テレビ局の立場も考えて慎重になるべきと諌言されたのだろう。加えて、田村淳がある種の野心的動機から謀反行動 - 松本切り捨て、松本からの独立 ー に出た気配も窺われる。現状、松本人志の側の反撃は見られず、吉本陣営の混乱と立往生が続いている。

注意して見れば分かるが、被害女性と週刊文春の側は動きが機敏で機動的だ。例えば、松本人志が 1/5 に「とうとう出たね」と女性のLINEを暴露した際、すぐさま「なぜ、お礼LINEが“性的合意”の証明になるのですか」と切り返しを入れ、また小沢一敬から「失礼があったら、この辺りを歩けなくなっちゃうかもしれないからね」と脅しを受けていた事実を証言した。それに合わせて、弁護士の望月明子が「女性が事後に相手方へ『迎合メール』を送ることは、性被害者特有の自己防衛行動に他ならない」と解説、逆に「(松本や小沢が)『合意があった』という意味合いで、こうしたLINEを拡散することは、まさにセカンドレイプです」と批判した。この反論にネット世論は頷き、被害女性を支持する声が高まる勢いとなる。松本人志はそこで沈黙し、LINE暴露作戦は迎撃され挫折した。

こうして、両者の闘争は裁判前にすでに始まっていて、双方が法廷で繰り出す証拠や証言がネット上に先行的に提出され、バトルの応酬が展開されている。そして一見して、1/5 のLINE暴露の失敗といい、1/10 のワイドナショーの出演撤回といい、松本人志と吉本興業の側の失態と動揺が目立つ。打つ手がなく、八方塞がりで行き詰まった感を否めない。週刊文春の側の戦略と態勢が万全で、松本と吉本の側がどんな攻撃を仕掛けてきても、間髪を入れず論破し逆襲する準備ができている印象が強い。いま現在、被害女性と女性側弁護士は真剣勝負の裁判を戦っているのと同じだ。週刊文春もまた、裁判の戦いを有利に運ぶべく、吉本陣営の対応を睨みながら、布石した戦略に従って言論の戦いを前に進めている。有田芳生によると、文春への「告発はすごい人数」だそうで、1/17 時点で「まだ序盤のようです」と強気姿勢だ。

連載は続く。この問題は一般の関心が高く、局面の推移を誰もが固唾をのんで見守っている。1/18 号の第三弾までの間に告発者は7人になった。被害現場は東京と大阪と福岡。ジャニーズ事件のような被害者の会が結成され、集団訴訟的な進行になるかもしれない。第三弾の記事では、松本人志による「女性セレクト指示書」が暴露され、松本人志が子分芸人にどのような女性の調達を要求していたが明らかにされている。いわゆる「性上納システム」を裏づける物証だ。職種とか髪の毛の色で好みを選定、指示している。さらに、名古屋よしもとの元芸人で、実際に性上納システムの歯車となって動き、「献上」に勤しんだ女衒芸人の証言を載せている。決定的な情報だ。裁判になれば、被害女性と文春側の証人として申請され、出廷して詳細を述べるだろう。記事の内容は、性上納システムの存在を確信させられる材料ばかりが並ぶ。

性上納システムで奉仕する子分芸人にとって、女衒活動はまさに職務そのものであり、自らの地位や出世を左右する重大任務だった事情が分かる。芸人のマスコミ出演は、帝王の松本人志が差配していたのであり、松本人志の機嫌をとって満足させ気に入られることが、子分芸人の稼ぎを左右する神聖な課題だったのだ。そこでよく成果を上げた者に、褒美としてテレビ仕事が配分され、無名の小僧が茶の間の人気者になる階梯が保証されたのである。何とかして売り出したい無名芸人にとって、このシステムに関与しての貢献と功績は、職業上の死活問題だった。前回も指摘したとおり、この快楽と満足は金では買えない。松本人志がどれほど大金を払っても自由に手に入れられる商品ではない。金銭以外の手段が必要で、狡猾で卑劣な、騙しと釣りと脅しと泣き寝入りの暴力プロセスが必要であり、子分を使った罠張りと捕獲のスキームが必要だったのだ。

一方、女性の側についてはどうかというと、客観的に見れば、何でこんな暴力団ライクなシステムの餌食に簡単になるのだろうと思うし、ホイホイと軽率にホテルに入るのかと眉を顰める気分になる。第三者の眼で見れば、迂闊で不注意で非常識な行動に違いなく、その挙句に招いた失敗と被害だと感じる。自業自得の顛末に見える。だが、本人たちに内在して状況を考察すればそうではない。まず、彼女たちは、松本人志と芸人たちにコミットした関係にある。危害を加えてくるゴロツキとは想定せず、まさか強制的で不本意な性交を迫られるとは、最悪の場面に持ち込まれるとは想像していない。松本人志は眩い芸能界の大スターであり、自分もその世界で売り出す卵だと自覚し、容姿に自信も持っていて、華やかな成功の夢だけが視界に映っている。私的パーティへのアクセスとアテンドは、千載一遇のチャンスであり、リスクはなるべく考えない態度になるのだ。

状況を主観的に都合のいい方に捉え、松本人志を善人だと思ってしまう。自分を成功に導いてくれる神様だと思い込む。若い女の子の自然な心理だろう。そこがカモが罠に嵌まる原因であり、ゴロツキ軍団がつけこむ隙であり、性上納システムがコンプリートする秘訣なのだ。女性たちがリスクを全く考慮してなかったかといえば、それは違うだろう。だが、松本人志と吉本芸人への憧れが先にあり、面識を持つことが最優先だから、信用するバイアスとなり、最悪の事態になる前にその場を脱出できると楽観方向に錯覚するのだ。歌舞伎町のぼったくりバーの工程と同じである。店に誘導される、席に座らされる、飲み物を注文させられる..客はどこかで逃げられると思い、逃走すればいいと考える。だが、暴力のプロの手にかかるとそうは簡単に行かない。恐怖の圧力をかけられ、最後は観念させられる。女性を調達して親分に上納する子分は、食い扶持がかかっている仕事だ。

こうして性上納システムの罠と狩りは成功し、被害女性は常に泣き寝入りを余儀なくさせられたのである。女性たちは、被害に遭った後に真相に気づく。性上納システムのスキームがあり、吉本(松本)軍団が恒常的組織的にそれを回していて、自分と同じ屈辱と不幸の体験をしている者が無数にいるであろう事実を知るのだ。夢から覚めて現実に戻るのだ。そして惨めな気分になり、後悔に苛まれて自分を責めるようになる。松本人志と吉本軍団を恨み憎む感情も込み上げ、トラウマが葛藤となって苦しみが続く。被害者の一人はPTSDになっている。テレビをつければ、そこに松本人志がいる。仲間のクズ芸人が笑っている。性加害の相手がいて、天下無敵で放漫に威張り散らし、世の中を睥睨し、愚弄し嘲笑する特別席に座っている。持て囃されている。被害者たちの心中穏やかならざること、容易に察せられる。

文春誌面を読んで感じるのは、被害女性が最後まで戦う決意と覚悟ができている点だ。法廷闘争を見据え、最終解決の目標と地平を持っている。簡単には妥協しないし、松本人志の応援団の脅しや挑発に怯むことはないだろう。もし仮に、松本人志が名誉毀損で提訴したとしても、裁判所の審理と判断は、松本人志と吉本軍団の性上納システムを焦点として捉え、その構造と実態の反社会性を看過しないだろう。松本人志側に不法行為の存在を認定し、原告が訴えた名誉毀損の違法性を阻却する事由として正しく認めるだろう。つまるところ、原告敗訴の判決を出すだろう。当たり前のことだ。誰が考えても結論が分かるから、松本人志と吉本興業は提訴に踏み切れないのである。週刊文春の編集部には、続々と新たな被害者が告発を寄せ、共闘する一員になっている。文春側の戦力と説得力は日に日に分厚さを増している。

松本引退、吉本解散、維新崩壊。私にはその一本道しか見えない。

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