言葉のクリティカルマス ~日経新聞「あすへの話題」風~
土日祝はエッセイ風の記事を投稿することにしまして、本日は、日経新聞「明日への話題」風で19字×35行(紙面上だと縦書き)を意識した文量のテキストをお届けします。
なお、いちおう説明しますと、タイトルにもあるクリティカルマスとは、商品やサービスの普及率が一気に跳ね上がる分岐点を指します。
古くは、ベータ vs VHS 戦争などで、ある一定水準まで達したら、一気にそちらが標準仕様(使用)になるといった現象です。
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先月のクリスマスは、サンタクロース(俗世ではアマゾンという)に次男分のプレゼントを手配するのが遅れてしまい、25日朝までには届かない見込みとなった。長男分はすでに手許に預かっていた。そのままでは兄弟でプレゼントの有無が発生してしまう。そこで、姑息な手段として、百円ショップで次男の好みそうなものを見繕うこととし、とりあえずの格好をつけた。
ここで、「姑息な手段」と表現したが、今回のテーマはこの表現である。クリスマスもプレゼントも特に関係はない。
読者におかれては、この表現を見てどう思っただろうか。もしかしたら多くの方が「ひきょうな、ずるい手段」といった意味で捉えたかもしれない。最近はこちらの意味で使われる方が多数派のようである。
冒頭の事例であれば、それでも意味はなんとなく通る。だが、筆者の意図としては、「その場しのぎの一時的な間に合わせで」という本来的な意味である。百円ショップでクリスマスプレゼントを手配することが、ずるいわけではなかろう。
これは筆者の想像だが、「姑息な」と「こしゃくな」は音が似ている。それがために、「こしゃくな」の意味する「こざかしい」といったニュアンスが混ざったのではないだろうか。
困るのは、本来の意味で使おうとしているのに、最近の意味で捉えられてしまうことである。そうなると、あるときから本来の意味で使うのがむしろ難しくなってくる。いわば、言葉の領域でもクリティカルマスに似た現象が存在する。なお、この文は姑息に書いたわけではない。