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スサノオノミコトから剣を渡される

という夢みたいなものを見た。あまりにもリアルで今でも鮮明に覚えている。

2024年の8月中旬、ラスベガスから帰国してから1か月程体調を崩していて、家で休む時間も長かった。海外のあのギラギラしたエネルギーを吸収しすぎたんかなあ、ともっとバリアをしておけば良かったのかなあ、とか、ラスベガスの街だけでなく、国立公園の方まで行って、自然の力で中和させれば良かったなあとか、いろいろ後悔しても後の祭り。

確か、家で休んでいた時期に見た夢だと思う。とても体格のいい男性が大きな剣をもって私の前に現れたのだ。筋肉隆々で髪ももっさーとしていてとにかくでかい。

その体格のいい男性がスサノオノミコトだったのだ。否、正確に言うと、なぜか直感的にこの人は神様で、スサノオノミコトさんだと感じたのだ。というのも、私の産土神様はスサノオノミコトだということと、たたずまいやら、体つきやら、私が想像していたスサノオノミコトそのまんまだったからだ。


夢に出てきたスサノオノミコトさんはこんな感じ

彼は何も言葉を発せず、ただ私に大きな剣を渡して去っていき、私はその剣を腰にしまい、目を覚ました。当然、現実として剣があるわけではないが、この現実には見えないけど受け取ってしまった剣はどう使うものなのか、真剣に考えてしまった。もともと真面目な性格ではあったが、この夢みたいなのがあまりにもリアルで、本当にあったような気がしてならなかったからだ。ああ、あの時スサノオノミコトさんに質問すればよかった。この剣は一体何に使うのですか?と。


剣の大きさはこんな感じだった

とりあえず最初は、自分の中に侵食してこようとしたり、鎖のように私の体につながろうとする、私にとってはよろしくないエネルギーをぶったぎるためのものかな、と思い、たまにそういう状況が起きたらぶったぎっていた(もちろんイメージングの中で!)

でも、2か月たった今になってその剣にはもっと奥深い意味があったことに気が付いた。

話は変わるが、私の両親は決して順風満帆な家庭で育ったわけではない。母方の祖母は産みの母から捨てられ、祖母は自分が育ての親や嫁ぎ先の義両親に愛されたいことでいっぱいいっぱいで、母とは折り合いがつかず、母は祖母からの愛情に飢えていた。おそらくさかのぼれば母の家系は「愛に飢えている」「愛され方が分からない、ゆえに愛し方も分からない」という連鎖を先祖代々起こしてきたのだろう。

当然、私にもその連鎖が来て、母は子供(私)をどうやって愛していいかわからないし、とにかく母になっても彼女は愛されたくて愛されたくて仕方がなかった。ねじれにねじれた愛情は子供の私は理解ができないし、そのまま私は愛というものがなんなのか分からない状態で大人になった。

愛を知らない大人の私は非常にやっかいで、基本条件付き(笑)。あとはモノとかお金とか目に見える形で愛情を推し量ったり、わざと相手を試すような行動をとったり、尽くしすぎたりなんてこともした。

こんな私でも変化の兆しが見えたのは、夫と出会ったことと、自分も母になったことである。夫の家族から無条件の愛というものを受け取ったり、娘から無償の愛を体験したりして、私は愛を学ぶために今までこういう経験をしてきたのか、と目から鱗の発見があった。


一方で、父方はというと、「とにかく自分が我慢すればそれでいい」という自己犠牲的な考え方を脈々と受け継いできた家系だった。特に祖母は我慢強く、結婚前に戦地に赴いた祖父を信じて待ち続けやっと結婚したのに、不倫が発覚したら、「私が耐え忍んで家を出ればみんなが幸せになる」と言わんばかりに潔くシングルマザーになってしまうような、自己犠牲がしみついていた祖母だった。父も父で飄々としている人だが、蓋を開ければ「俺が我慢して何とかすればいいんだ」的思考がはびこっている。

その父方家系の思考は当然私にも受け継がれていたのだが、私は今の今まで全く気が付いていなかった。意識もしていなかった。シータヒーリングというセッションを受けて初めて気が付いたのだ。あ、それ私にもある、と。

そして、母が先祖代々受け継いできた「愛をくれくれ」という終わりのない欲求というパズルのピース(カルマ)と、父が先祖代々受け継いできた「自分さえ我慢すればこの場がおさまる」という自己犠牲というパズルのピース(カルマ)が、あろうことかバチーーッとハマってしまったのだ。そして、私が両方ともDNAレベルで受け継いで生まれてきたわけだ。

シータヒーリングを受けたあと、先祖代々脈々と受け継がれてきたそれぞれのカルマが両親の代でパズルがバチーーッとはまったことが理解できた時、この剣の意味合いもやっと分かったのだ。

「先祖代々脈々と受け継がれてきてしまっている、鎖のような思い込み達(カルマ)を私の代でぶったぎれ!!」

ということだったわけなのだ。皆さんには何が何だか意味不明なことかもしれないが、私はものすごく納得したのだ。スピリチュアル的な言葉に言い換えると「カルマの解消」と言われるものなのだろう。いやはや、これは根深いのだな、と痛感した。


母方の方はなんとか気が付くことができていた(それでも何年もかかったし、過程もものすごい苦労があった)が、父方の方はまったくもって顕在意識で認識できていなかった。ヒーリングセッションを受けて初めて「あ、そういえばあの時!」「あ、そういえば祖母はあんな話をしていた!」とまるでオセロがパタパタひっくり返るように祖母や父の言動を思い出し、彼らの思考パターンを理解して、初めて「私にもある!!!」と気が付いたからだ。

気が付けたということは、要は私の代でその鎖をぶったぎって、みんなを自由にしようということなんだと思う。その象徴として手渡されたのがあの大きな剣なのだ。(ということにしよう。)

そして、そのシータヒーリングを学ぶことになったということは、まだそのぶったぎる鎖があるということなのかもしれない。学びながら、実践しながら鎖をどんどんぶったぎって心身共に軽くなって人生後半を楽しもうと決意した。そうすることで、私に命をつないでくれた先祖代々の想念もきれいに浄化されていくんではなかろうか。恩返しのひとつになればいいなと思う。

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Sayo
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