Y:100 「継続」の価値が重すぎる世界
2024.10.27
先日、英単語アプリの連続学習記録をおそらく3年ぶりくらいに更新した。
前回の記録が443日だったが、途中、失敗などもあり、3年ぐらいかかった気がする。443日間毎日、このアプリで英単語の勉強を続けたことになる。
今週は誕生日だった。40代も半ばまで来た。
これも言い換えると、40年以上、継続して生きてきたと言える。普通に考えれば心臓や各臓器が絶え間なく働いてきたということだ。
noteが10月31日までに記事を書けば毎月の連続投稿が続くから、書け書けと言ってくる。
何日連続で学習できるかな?
○○飲んで、長生き人生!(なんかのCM)
連続投稿記録伸ばしてみませんか?
いろんなところで、「続けるんだ!!」と言われている気がする。
どうも、世の中は「続けること」にとても価値を置いている。そして、継続を求められることもよくある。
私も継続は価値あることだと思っている。時間や労力を注ぎ、場合によっては不運などを避けたり、かいくぐりながら、何かを続けるというのは、簡単なことではない。みんなができることではない。
だから、100歳まで生きること表彰されるし、長く生きれば生きるほど、よしとされる。
ふと、思う。英単語アプリを443日続けて、私はどれくらい英語がうまくなったのだろう。40年以上、継続して生きてきているが、なにか世の中に貢献できているのだろうか。noteをこうやって半ば、無理して書いて何か意味があるのか(笑)
つまり、「継続」が果たしてどれほど価値があることなのかということと、「継続しない(できない)」とそれは価値が減ってしまうものなのかということだ。
英単語アプリを毎日続けなくても、1年の海外留学で私より英語が上手な人はたくさんいる。私の母は50代で亡くなったが、それは100歳以上生きた人と比べ、半分くらいの幸せだったり、価値だったりするのだろうか。このnoteを10/31に書くことと、11/1に書くことの間にどんな差があるのか。
ありがちに言えば、「続けること」が目的になってしまうのは、本質的ではない。
実は英単語アプリも、旅行中にふと忘れてしまったことがあって、わざわざアプリの設定で、タイムゾーンをずらして(日付をさかのぼり)、連続記録を途絶えないようにしたこともある(笑)記録が途絶えるのが辛く、これをまた1年以上、連続でやっている自分を想像できなかった。
アプリを途中でやめたり、noteを気が向いた時だけ書いたり、もしかしたら、早く寿命が尽きてしまうことだって、悪いことではない気がする。生きることについては、人によって意見は分かれるだろうし、短いことを否定的に捉えないというのは難しいことかもしれない。
ただ、私個人の意見として、母が幸せでなかったかというと、そうでもないような気がしている。理由は省略するがいろいろ鑑みて、そう思う。
長生きというのはもちろん、すばらしいとは思うが、一方でそれは一つの見方に過ぎないのではというのが最近の私の考えだ。
生きることそれ自体が目的ではなく、もし何かやり遂げたいことがあるなら、それをやり遂げずに寿命がくることが、残念というぐらいだろう。ただ、みんながみんな「やり遂げる」何かを四六時中抱えているというのも不気味ではある。
何事も続けようとすると大変で、苦しくなる時もある。だからこそ続けることはすごいという、話に戻っちゃうのだが。
結局、何が言いたかったのか。
続けることだけが目的になるべきではないだろうし、続かないことが、ダメなことでもないということだろうか。