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Y:98 名前に顔を寄せていく

「名は体を表す」という言葉があるが、「名はを表す」という研究があるらしい。

よく聴いているpodcastのバイリンガルニュースで取り上げられていて、へえ〜、ほんとにそんなことがあるんだぁと思いながら、

しばらくしたらDMM英会話の教材にも取り上げられていた。

普段は同じ教材を繰り返してすることはないのだけど、これを使って話したら、話が盛り上がったので、4回ぐらい同じトピックでいろんな先生とこの現象について話してみた。

端的にどういう研究だったかというと、成人の顔は「名前」の持つ社会的な期待みたいなものに近づいて、似通っていくという話だ(私の理解が間違ってなければ)

実験では顔写真と4択で名前が示されて、実験参加者に名前を当てさせる。大人の顔写真の場合、30%ほどで、偶然で当たる確率25%より統計的に有意に高い。しかし、子どもの顔写真と名前では、このようなことは起こらなかった。つまり、名前と顔の一致が生まれつきの特徴ではなく、自己成就的予言のように、大人になるにつれて同じような特徴の顔に近づいていくというのをいくつかの実験で示している。

元になっているのはこの論文
Can names shape facial appearance?

さて、この話を聴いたり読んだりして、2点気になった。

  1. ある名前が持っている社会的ステレオタイプ(social stereotype )とはどんなものだろう?

  2. 名前の付け方が違う日本語でもそういうことがありえるのだろうか?

例えば、写真に出てくるJonathan, Daniel, Tom, Noam、私はこの名前にある背景を何も知らない。きっと、これらの名前は聖書や聖人に由来してたりするのだろう。そうなると、名前に対するストーリーが人々(社会)にある程度、共有されていて、ステレオタイプみたいなものもありえるのか。それが、「誠実」みたいなものだったとき、それが「顔」に現れるというのは、どういうことなのだろうか。

2点目は、日本人の場合は、おそらく、聖書由来、宗教的な背景のある名前は、少なそうな一方、「漢字」の持つ意味の社会的ステレオタイプはあるかもしれない。例えば「明子さん」なら、明るいと思うかもしれない(単純すぎるが)。ただ、これが「昭子さん」「秋子さん」「あきこさん」となってくる時、バリエーションが多すぎるが、顔はどうなっていくのだろう。

みたいなことを思いつつ、オンライン英会話で、先生にこの結果を信じるかというと。みんな信じると言っていた。

オンライン英会話の先生も人によってはこれまでに、1000人以上の日本人を相手にレッスンをしていて、それだけ日本人の名前を見聞きしてきている。その中に特徴を感じるというのだ。

ある先生は、"AKIKO"と”MICHIKO”という名前の生徒は英語が上手と言っていた。
これには私も思わす“Really??”と自然に反応してしまった(笑)
話を聴いているとどうも”AKI”という音のつく名前が印象に残っているらしい。確かに、考えてみると”AKI”という音は、女性でも男性でもある名前だし
男性だと、漢字2文字の名前だと、前でも後でもありえるから、音だけを頼りにする外国人の先生にとっては、人数としては聞く回数が多いのかもしれない。

今回は、セルビア、ボスニア、フィリピンの先生と話す機会があったが、一様に、名前によって、古く感じる名前、新しく感じる名前があるようだ。聖書由来の名前でも、世代によってバリエーションがあったり、東欧の場合は、共産主義時代の名残が名前に残っているということもあるらしい。そうなると名前の持つステレオタイプは強固な感じもする。

先ほどの"AKIKO"と”MICHIKO”が英語上手い理論は、おそらく、これらの人が、相対的に英語学習歴が長いことから、そう感じるのではないだろうか。どちらも「子」がつく名前で、以前と比べると少ない名前だと思う。つまり「子」がつく生徒は、「子」がつかない人に比べ年齢が高い傾向があり、その結果、英語学習歴が長めで、結果として英語が上手なのではと。

それにしても、同じ名前の人がいるならぜひ、顔を見たいものである。私自身が、自分の名前に対する「期待」や「ステレオタイプ」を意識していないのに、私の顔はどう、私の名前に近づいていくのだろう。


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