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Y:104 限りない鍵

2025.2.23

「鉄道会社のポイントが失効します」というメールが届いた。確認するためにログインページを開くと、最近、リニューアルしたらしくログインページも見覚えがない。思い出せそうなIDとパスワードを入れてみるも、違っていると弾かれる。気がつけば30分、ようやくログインして確認できたのは来月失効予定の300円分のポイントだった。なんとも言えない徒労感が残った。

パスワードを使わずに過ごせる日などない。1日にいくつパスワードを使っているのだろう。番号入力、顔で認証、指紋で認証、コードが送られてきて認証、いろいろある。パスワードを、一種の「鍵」と考えると、私たちは無数の鍵束を抱えて毎日を過ごしていることになる。

火の使用は人間特有のものと言われるが、きっと、鍵を使うのも人間特有で、他の動物で鍵を使うものはいないだろう。

他の動物は「隠す」ということで大事なモノを守ろうとする。大事なモノを、見えなくするということだ。対して、鍵(錠前)は、ここに大事なモノがあるということを示しているとも言える。だから、「隠す」と「鍵をかける」というのは守るという意味では同じ方向だけれども、手段としては対極にある。

「鍵」は進化の賜物と言えそうだが、性悪説にたった道具でもある。wikipediaによると鍵は紀元前2000年から存在していたという。昔から守るために鍵が必要だった。基本的にヒト(人間)は、取る(盗る)動物なんだと思う。

おそらく、ほとんどの宗教で「盗んではならない」というのはよく言われていそうだ。それぐらい、昔から「盗む」というのはよくある行為で、それでもなくならない本能的な(不良)行為なんだと思う。

家に鍵をかけるというのも、かけないと悪い人が入ってくるかもしれないという前提だということだ。それは、性善説では説明できない事実なのだろう。だから、鍵をかけずに盗まれたら自分も悪いという話になる。人を信頼するというのは難しい。

最初の話に戻ると、私は300円失効間際のポイントの確認に30分使ってしまった。パスワードがなければ、すぐに確認できるのに。私は一生のうちにどれだけの鍵を開けるのだろう。昔は、物理的な鍵しかない世界だったけど、デジタル社会は、何をするにもパスワード(鍵)が必要な世界になった。方法は進化しているが、鍵は増えて、人間の信頼性という意味では退化しているとも言える。

しかも、鍵をかけるいうことは、実は自分も締め出す可能性を作ることにもなる。鍵をなくす、パスワードを忘れる、そうすると、自分のモノなのに触れなくなるのも鍵の性質だ。たくさん鍵を持つというのはリスクにもなりそうだ。

鍵を渡すという行為は信頼の証(可視化)かもしれない。一方で他の動物は、別に証がなくても、お互いを信頼している。鍵を使うのは人間が、血縁や家族以外の個体とも信頼関係を築く必要があるからだろうか。「約束」や「契約」も見方によっては信頼を可視化したものかもしれない。

鍵のない未来は来るのだろうか。

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駄々こね太/ Essayist
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