教わる時にはわかっていたのに、教える時に忘れる要素【教育・研修・コーチ】
2020.4.14.火 #269日目
京都の絵描きよねはんこと、夜更かし野郎なのに睡眠時間は削っていないです。
火曜日の更新が遅れてしまいごめんなさい!そして、こんばんは!
今日の日記を最後まで読んでもらえた暁には、
人に教える立場で接する時に大事なことを感じてもらえると嬉しく思います。
よかったら、子どもを後輩・部下、成人を先輩・上司と読み替えてみてもらってもいいと思います。
(*個人的には上司と部下という呼び名は好きではないけど、しゃーないっすね)
さて、本題へ。
ぼくは、長男に生まれたからか、人に教えるということに面倒臭さを感じにくい体質です。
だから、学生時代は友人に勉強のコツを教えてた程度でしたが、今はスイミングコーチを4年目していますを
相手が幼児や児童でも、学生や成年でも老人でも気をつける大きなポイントは大抵同じです。
そんな時、教わる側に居た時のことを思い出すのはとても肝心です。
「上から目線で教わるというのは聴き心地が悪い」ものです。
経験ありませんか。
僕はあります。
やっぱり子どもにも成年と同じように接する態度を示さなければいけません。
例えば、子どもをその年齢区分や学歴・成績で見下したら終わりです。
子ども同士でも、年齢で見下す姿をよく見かけますが、あれも論外。
決していけません。
悪びれもなく、
目上にはペコペコするのに、
目下には堂々とする人には教わりたくないと思ってしまうのが心理。
(*多少なりともその言動が出てしまうことはあるかもしれんが)
見下しているか否かはバレます。
尊敬しているか否かもバレます。
よく間違ってるのが、
尊敬とは、目上を敬うことだと思いがちではないですか?
それは小学校で習った尊敬語の使い方が洗脳していると思ってて。
とりあえず。
尊敬語を使う相手を尊敬していて、
タメ口を使う相手を同等かそれ以下と見誤ってしまうバグを修正しないといけません。
実際、このあたりを意識せずに、他人に物事を教えようとすると、コミュニケーションが破綻して喧嘩になるか、関係が死にます。
なんなら、聴く側が、コミュニケーションを放棄することすらあります。
(先日も話したけど、怒鳴るとか叱るとか、褒めるとか論外です)
「できたな!」と褒め、
「しなさい!」と叱り、
「できないのか!」と怒る。
全て、相手を見下しています。
よーく考えてみたら、ぼくたちが話を聞こうと思った先生は、ぼくたちを見下して居なかった。
教わる側の視点で考えていたら、長引いてしまったので、そろそろ、まとめていきましょう。
ここまで踏まえて、教える立場として気をつけておいたらいいことってなんだろう。
教えてほしい人を掲げて、その人物像を目標に設定してみよう!
聴き手に対して、
関心を持ち、
興味を持ち、
想いを聴ける人。
そんな人なら、話を聞いてみたいと思うし、教わってみたいと思う。
少なくとも、教わる側に対して、無関心で聴く耳を持たないコーチなんて要らないですよね。
ただ、相手に教える教える教えるだけでは、相手がどんな場所を目指しているかわかないまま闇雲に進むことになっちゃうんです。
気をつけておくべきことは気をつけて、今後のコーチ人生や、教える側としての位置付けを学びたいです。
以上!
では!寝ます!
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