ゴールテープは何本切ってもいい。途中で間違えたら、また戻って来ればいい。【目標・ゴール・後悔・コンパス】
2020.4.20.月 #275日目
今朝、弟が会社に乗っていくための自転車を少し整備しておいた米田こと「お家の自転車屋さん」です。
*大したことはしていません。
今日は少しだけ、長いかも。
*昨日の投稿が弱いので今日はしっかり喋りたいだけです。noteの方は、ぜひ太字を追ってください。
では、本題へ。
「今夜は、ゆっくり休みたい。」
そう思う1日を過ごしたいなぁと思うのに、できない日って有りません?
そんな話をしつつ、皆さんにも、できない理由を探ってもらえると嬉しいです。
まず、前提として、どんな目標でも、最後までやり抜くことの必要性はあります。
「あのゴールテープを切るまで走るのをやめないんだ!いくぞ!」
という最後まで走り抜くメンタルや体力が育つのもこういう瞬間だろうと思います。
かの有名な
「あの夕日に向かって走れ!」
「少年よ、大志を抱け!」
なども、ゴール設定して、そこに向けて走るための言葉ではありませんか。
でも、僕たちは、ある日走るのをやめてしまう瞬間がある。
大怪我したわけでも、人災が起きたわけでもないのに、「なぜかやめたあの日」をおぼえていませんか?
大怪我をしたなら、人災に巻き込まれたなら、もしかしたら一度足を休める機会なのかもと思える。
だけど、なんでかわからんけど、やめちゃったら、後に来るのは悔やみ。
「後悔」です。
あのゴールへの挑戦は、やる気に満ち溢れていたのにも関わらず、その反動でやる気があっという間にゼロに向かっていく。
ここで、先ほど一回前提したことを思い出しましょう。
「目標に向けて、最後までやり抜く必要性」があるのでしょうか。
あります。
それは間違えていません。
だけど、もう一個必要なこともある。
最後までやり抜くには、「ただの思いつきでは無理だ」ということ。
次は、この話をしていきます。
走り出した時はゴールしか見えていない。だから、走り切れる気がします。
スタートがモチベーションのピークです。
しかし、途中には、知らない人の野次や、仲間と道を違える瞬間など、僕たちの歩みを不安にさせる要素が飛んでくるのです。
気が逸れた瞬間に、カレーのいい匂いがしてきて、お腹が空いたように思えたりする。
「あー、あいつも離れて行った」
「あー、遠くからいい匂いがする」
そうやって、目指したゴールテープよりも仲間が大事に思えたり、走るよりもカレーが好きだと思えたりしてくる。
こうなったら、カレーへ駆け出した足を止める術を実行しないとゴールテープなんてどこに行ったかわからなくなりますよね。
ゴールテープから逸れて行ってしまいましたね。
あなたや、ぼくは、何をやってるんでしょう。
ゴールテープを切ろうとしていたはずの去年から、気がつけば、美味しいカレーを食べる旅に出ていたわけです。
大きな後悔をします。
道をそれたのです。
次は、対策です。
ゴールテープを切ろうとするならば、カレーの匂いがしないようにする工夫が必要です。
自分だけのゴールテープを切ろうと走るならば、仲間が道を違えることもあると知っておくことが大事です。
例えば、ぼくは、絵描きを始めて、
カレーを食べに行って、仲間に盲目になってしまっている現実に多々気がついたのです。
だけど、そういう自分がいることは当たり前です。
事実、仲間は、大切です。
事実、カレーは、美味です。
ただ、ゴールテープを切るのが自分の目標で、そのゴールテープを切った際にご褒美として、大切な仲間と美味なカレーを食うのもありです。
話がごちゃっとしましたね。
ここから、ゴールテープは、この先何本あってもいいという話です。
その日のゴールテープは、
「絵を描くこと」
で、
明日のゴールテープは、
「カレーを食べること」
で、
明後日のゴールテープは、
「ゆっくりすること」
って、わければいんです。
何が言いたいかというと、ゴールは同時進行で沢山作っていい思うんです。
だけど、
戻ってこれるかが大切です。
カレー好きが、仲間と一緒に走ってて、美味しそうなカレーがあったら、食べていいんです。
でも、その後走る向きがゴールテープだったことを思い出すためのコンパスが必要です。
道を逸れてもいいけれど、コンパスが要るというお話を。
コンパスは、自分で紙に書いて持っておくことが必要でしょう。
ゴールテープの数だけ、ゴールがあるのです。
ゆっくりしたい日はゆっくりし続けて飽きるまでゆっくりすればいい。いずれ、何もせずゆっくりし続けて生活していれば心が死ぬとわかります。
カレーだってそう。
カレーだけを食べていたら死ぬことも気がつきます。
コンパスに基づいて逸れた道をもとに戻さないといけない時が自然とやってくるんですね。
ここまで話してきてわかるかもしれませんが、
大きな目標をたてて走り出したのはいいけれど、途中に必要な小目標ができたら逸れたりしても問題ないと思っておく方が良いのかもしれません。
ゴールを決めたら、道のりは最悪だと仮定しておくということです。
メンタルがやられてしまうからです。
本当に掲げていた目標に、
それでもコンパスを見失ったらどうするのか。
戻って来れなかったなら、それは本当に掲げた目標ではなくて、ただの思いつきだっただけ。
さあ、長くなりました。
まとめます。
ゴールは、いくらでもあってもいいし、歩みを止める日や、走り抜く日があっていい。
だけど、常に持っていたい考え方は、ずっと同じことをし続けることなんて無理だということ。
そして、同じことを繰り返していたら、バランスを崩して死んでしまうということ。
だけど、トータルで見た時に、一貫して走り続けてきたと思えるように、方向のコンパスは大切に持っておく。
仲間や、カレーや、おやすみを、大切にしてもいいけれど、向かっていた場所はあの山の山頂だなとこまめに確認するようにするといいなと思います。
ぼくは、今の人生目標が「絵を描いて生きていきたい」というものです。
途中で間違えた日には後悔をしつつ、獣道であっても、大通りであっても、進めるようにしています。
突発的に飛んだり跳ねたりして、道を外れたりすることもあります。
だけど、必ずまた戻ってこれるようにしたいです。
この日記ブログを日々続けているのは、そういうコンパスになればいいなと思うからです。
日々変わりゆく自分の意思と気分に対応する自分の目標と指針を少しずつアップデートしていきます。
みなさんは、何もせずゆっくりすると決めた日に、ゆっくりしていますか?
突然、掃除をしていませんか?
惰性で、テレビ見てませんか?
どうでしょうか。