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【京都・聖地巡礼】 「四畳半神話大系」(森見登美彦) をもとにお散歩してみた!

⚠この調査はボクが大学生のときに記述したものを再構築した文です。

私は『四畳半神話大系』について実地調査を行った。以下はその中でこの作品について考察したものである。

まず訪れたのは京阪出町柳駅を降りてすぐの『鴨川デルタ』である。ここは物語の地図の中心であると考える。

到着時刻は午前10時頃。私は作中のイメージとの違いに早速落胆した。台風11号の影響を受け、川が増水し、まさに濁流であった。浅くて綺麗な川の流れは見られなかった。しかし、よく考えると作中の次のような場面に一致するのではないだろうか。

【まるで海を進む船の軸先に立つようにして樋口師匠はデルタの突端に立った。そうして葉巻を吹かした。右後ろからやってくる賀茂川と、左後ろからやってくる高野川が、目の前で混じり合って鴨川となり、どうどうと激しい勢いで南に流れてゆく。数日前まで雨が降っていたので、水嵩が増しているらしい。川べりに青々と茂っているヤブが水に浸かっていて、いつもよりも川幅が広がった。】

曇天で清々しい景色ではなかったが、その場面に近い状態であった。

一致する部分があり、早速物語に近い体感ができた。これはこれで好都合であったと言える。

その後、私はまだ人の少ない『デルタ』を背に、『下鴨神社』へ向かった。まず現れるのが『糺の森』である。作中ではこの周辺に『猫ラーメン』があると思われる。
そして『私が下鴨幽水荘ニ階に住む神と邂逅した』場所でもある。確かにここなら深夜に屋台が現れてもおかしくはないだろうと感じた。

ちなみに現地の案内板に『かもたけつぬみのかみ』の元となっていそうな神の名前を見つけた。かもたけつぬみのみこと。漢字は賀茂建角身命である。これは明らかにモデルになっていそうだ。

そしてしばらく参道を歩くと『下鴨神社』に着く。この日は作中に登場する『古本市』ではなく納涼市が開かれており、冷たい飲み物やお土産のようなものを販売していた。人もそんなに多くはなく森の静けさもあったくらいだ。

参拝を終え、作中の『私』と『小津』が『川向こうで和気藹々と新入生歓迎コンパをしている人々を爆撃』した『出町橋の暗がり』と思われる場所から『賀茂大橋』にかけて歩いた。こんなところから『大音声を上げ』『打ち上げ花火』をぶっ放したとは、生粋の『あほ』である。そう考えてると笑いが滲み出てしまいそうだった。

賀茂大橋を渡り、京都大学の前を通り、可能性としては『私』が行ったかもしれない「進々堂」と「レストランまどい」を見て吉田神社に向かった。

【吉田神社といえば、合格祈願をすれば必ずや落ちると言われるほどに霊験あらたかな神社である。毎年多くの高校生大学生が合格祈願しては浪人留年の憂き目にあい、およそ琵琶湖半分の苦い涙を流してきたという。】

作中ではこのように言われているが、私は思わず足を踏み入れてしまった。しかしそこには女子高生とその母親と思われる女性2人組が参拝していた。作中のガセネタかと思いつつ、もし本当なら……と、悪いことを考えてしまったのですぐその場を後にした。

『私』が『羽貫さん』に『ひきずりまわされ』『倒れ伏していた』場所…『夷川発電所』である。ここではアニメを参考にしてベンチを撮影した。

確かにここで寝ていれば夏でも風邪はひくだろうと感じた。ちなみにこの時私の左手には地面にダンボールを敷いて眠っているおじさんがいた。彼は風邪をひかないのかと心配したがさすがに声をかけられなかった。

そして二条大橋辺りから河原町を歩き、三条木屋町に到着。ここには『長浜ラーメン』があり昼ご飯を決めかねていた私は既に14時だと知り、『私』と同じく『腹を膨らますために長浜ラーメンをすすっ』た。

味は美味そのものであったはずである。というのもつまり調理の衛生面が悪く、それを横目にラーメンを食したため味をほとんど覚えていない。誠に残念であるまた深夜にでも行こうと思う。

ということで私の実地調査の目的地は全て回ったしかし物足りない私は京阪に乗り三条から出町柳に戻った。

カフェに入りクリームソーダを注文し『四畳半神話大系』を読み直し、他に回るべき場所はないかと探した。

15時半頃にはカフェを出ると賀茂大橋の下の陰に独り腰掛けた。

日焼けで首と腕が赤くなりかなり痛かった。しかも慢性の捻挫起こしている右足首はもう限界を突破していると思われた。作中では『私』も『小津』も平気で出町柳から木屋町まで移動しているようだが、私は信じられないくらいの疲労感であった。

長い休憩を後に晴天と天気を変えていた空のもと、賀茂大橋とそこから見える『鴨川デルタ』を眺望した。

今度は京阪で三条へ戻って本屋めぐりをした。そして[先斗町にある羽貫さん行きつけの『月面歩行』なるバー]は一体どこかと探すことにした。ところが、存在しなかった。ただし木屋町に 「bar moonwalk」という店を見つけた。

これがモデルなのではないかと思う。いや、これは私の思い込みだろうか。そして時間は21時となり京都駅へ戻って帰宅した。

この調査のまとめとして『樋口師匠』の言葉について考えてみた。

【可能性という言葉をも限定で使ってはいけない。我々という存在を規定するのは、我々の持つ可能性ではなく、我々が持つ不可能性である】

私は、この実地調査で自分の『不可能性』を完全には認められなかった。この実地調査によってまるで何個もの世界の可能性を体験したかのような気持ちになったからだ。もしこの小説を選んでいなければ…。このような体験や記憶は残らなかっただろう。

もしかしたら私のあらゆる可能性を手にしても『私』のように同じのような運命をたどっているのかもしれない。しかし、私も『四畳半』の世界に閉じ込められるようなことがない限り『可能性』を捨てることはできない。

つまり私は私の『不可能性』で私を規定したくない。
今はまだそう考える。

写真はすべて2015.7.19.撮影
撮影者:米田遼一郎

書誌データ(引用はすべてここに拠る)
『四畳半神話大系』文庫版(角川書店)
著者:森見登美彦 発行者: 井上伸一郎

2022.6.15. 再構成し投稿

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