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タンゴ歌謡の魅力⑥~ジーラ・ジーラ

タンゴの発展はブエノスアイレスの発展の歴史にほぼ一致しています。

第一次世界大戦後の1920年代は農産物や食肉、皮革製品などの輸出が大きく伸び、アルゼンチンの経済は順調に成長していました。
ブエノスアイレスの街も美しく整備され「南米のパリ」とも言われる南米随一の都市へと発展していきました。
そしてカフェやキャバレー、映画館など生演奏が求められる場も増えて、タンゴは第1次黄金時代ともいうべき盛り上がりを見せていたのです。

しかしウォール街から始まった1929年の世界恐慌の影響はアルゼンチンにも押し寄せ、またたく間に経済や社会に暗い影を落としていきます。
「グローバル化」の落とし穴がいまから約100年前にも訪れていたのです。

そんな1930年代の不況期に頭角を現したのが作詞家・作曲家のエンリケ・サントス・ディセポロでした。
彼の独特のシニカルな視点で生み出されたタンゴは、あまりに厭世的で人間社会に対するどす黒い怒りや嫌悪感が渦巻いています。

1930年のヒット曲「ジーラ・ジーラ(yira yira)」明るくシンプルなメロディから日本でも愛好された曲ですが、内容は曲調とは裏腹に非常にネガティブなものです。

運命ってやつはひどい女神様だ
いつもお前の足を引っ張り、立往生させる‥‥
干しておいた昨日のマテ茶も切らしてしまった時
食うための金を探しまわって、靴を履きつぶしてしまった時
お前は世の中の冷淡さというやつをようやく感じるだろう
それでわかるんだ、すべては嘘だという事を
愛なんて存在しないことを
世界はまったく知らん顔
回る、回る‥‥

引用したガルデルの動画の最初で作詞家がこの歌に寄せたコメントは「40年にわたって美しい同胞愛を信じてきた男が、食べるにも事欠くようになって人間が獣だと気づく」という苦いものでした。

ディセポロの詩はひたすらネガティブで暗い。
自身の持って生まれた性格も反映されているのか、常に虚無的で人生への絶望に満ちています。
しかし同時に時代や社会の真実をするどく暴いているとも言えます。
それが不況、失業、インフレといった失意と混乱の時代によくマッチし、大衆の心をつかみヒットしたのです。

もう一つの代表作「カンバラーチェ(Cambalache古道具屋)」も風刺が効いています。
こちらはピアソラ×ゴジェネチェの名演でお聴きいただきます。

20世紀は古道具屋の店先だ、問題だらけで熱っぽい
泣かない子はお乳がもらえない
盗まないやつは馬鹿を見る

こちらの曲にも共通しているのは「正直者が馬鹿を見る」世の中への幻滅です。
過去から積みあがった問題でいっぱいになった20世紀の状況を、がらくたが山積みの古道具屋に例える比喩のセンスが効いています。
ここ数年、通貨価値の暴落とひどいインフレに悩まされているアルゼンチンでは100年ほど前のこの歌が再び注目されているようです。

またディセポロ作詞、マリアーノ・モーレス作曲の「ウノ(UNO)」「ブエノスアイレスの喫茶店(Cafetín de Buenos Aires)」も人気の曲ですが、「ウノ」は人生の苦悩で心が打ち砕かれ…という内容を歌っているし、「ブエノスアイレスの喫茶店」はかつての少年が人生の挫折を知るまでが歌われます。

かつての牧歌的だったブエノスアイレスは姿を消し、巨大な国際都市と変貌していった20世紀前半。
それまでの時代に無かった新しい問題が山積みになり始めたとき、ディセポロが書いたタンゴは確かにその時代のブエノスアイレスの人々の心情を映し出していました。

彼は挫折と世の不条理を描き続けましたが、そんな厭世的な作品が「大衆歌謡」としてヒットしてしまうのが興味深いところ。
タンゴは大人の音楽と称されることがありますが、大人は人生は歯車一つ違えば地獄だと知っているものです。(敗者をいたぶるような社会が成熟していると言えるでしょうか)

それから約100年後である現在、世界は経済も政治も不安定で揺れ動いていますが、そんな時にこのディセポロの詩は何度でもよみがえり、強烈なリアリティを持って人々に訴えかけてくるのでしょう。




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