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共存

自分が生まれ生きるそして終わるその時まで
人 物 生き物 場所 あらゆるモノと共存している。
今 問題視されている社会や環境問題に取り組むことをSDGsやサスティナブルといったワードで表現されその事自体がトレンドにもなりつつある今、情報はたくさんありSNSや雑誌、あらゆるところで知っていたし興味もどんどん深まっていった。でも知ってるつもりになっていた。ジブで掘り下げてみた情報はそれはそれは目を覆いたくなる知らないふりをしたくなる事が盛りだくさんで、それを当たり前と思い、何も疑問に思わなかった自分すら否定したくなる。私自身はアパレルOEMに身を置き、日々正しいと思っていた事さえ覆される事項が多いアパレルの歴史と、多くの環境問題。その中でSDGs事業が始まり、それが自分を励ます糧にもなっていた最中、SDGsを勉強するばおのずとアパレル以外の情報も掘り下げることになりなり、動物を食べないビーガンの理念や現実で起きている詳細を知ることになる。
それはそれはアパレル以上の衝撃で一気には調べられなかった。命あるものを食べている事実や感謝の上部ではない現場で起きている事実を。なぜウサギ、サルやイヌを食べていた人たちや時代に正義のように白い目を向けていたが自分も同じではないか。なぜブタやウシ、トリを食べることはOkでイヌはNGなの?
そんなシンプルな疑問もスルーしていた自分が恐ろしく、それを常識とされてきた風習もなお恐ろしい。命を食べる=自分の命のために、の時代ではない。他に食べるものも栄養も揃っている。生きるために狩猟をして自らの手でその行為を行なっていた人たちとも私たちは違う。
人間指導主義、この地球においていつまでそんな身勝手が続くのか。
そしてアパレルと同じようにコストダウンのために大量生産され、コストを削られるからどんどん現場は荒くなり、コスト競争に巻き込まれた命はどんどん乱雑に扱われてる。負の連鎖。
ここまで書いただけで吐きそうである。
そしてその現場でその仕事をされている方の気持ちすら様々だと思う。仕事は簡単に変えたり
辞めたりできるものではないのも重要な事実。
一番大事なのは知ることの一歩先。
行動あるのみ。イヌやネコを可愛がり悲鳴をあげて殺される動物を食べるなんて行為は
きっと人間にしかできない卑劣な行為だと思う。共存の意味とは。

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