中国映画「象は静かに座っている」をまだ観ていない人に贈るnote
2020年のベスト映画として選んだ中国映画「象は静かに座っている」は、本当に良かったのですがあまり多くの人見られていないと思う。
ちなみに2020年の上半期ベスト映画を語ったラジオ(夜な夜なラジオ映画部「2020年上半期ベスト14映画回」)で1位に選び、先日録音して第1回が更新されたばかりの『夜な夜なラジオ映画部「2020年 年間ベスト15回」』でも1位に選び(あ、言っちゃった。まだ公開してないのに。随時ここで公開します。)、名実共に年間ベストを受賞した栄誉ある映画なのです。
でもあまり見られてないんですよ。「象は静かに座っている」みました?ねぇ、みてないでしょ?と、いうわけで観ていない人に何とかその魅力をお伝えしたいなと。そう思って書き出したわけです。それではしばしお付き合い願います。
【あらすじ】
過去に炭鉱業で栄えた中国北部の街が舞台。若者のチェン、娘夫婦と住む老人のジン、女子高生のリン、男子高生のブー。4人の主人公それぞれが迎える人生の岐路と苦悩と微かな希望を描く。長回しが多く、4人の主観的視点で進む映像は徹底されものすごく新鮮で、234分という長い映画であるのに最後まで目が離せない。フー・ボー監督は29歳という若さでこの初長編作品をつくりあげ、自殺。デビュー長編映画であり、遺作となった。
フー・ボー監督は自作の短編小説「大裂」の中の一篇「大象席地而坐(象は静かに座っている)」をもとに映画を作成した。
少し逸れるけれど、中国語なんて読めないよって方は、新潮 2019年 12 月号に邦訳版が載ってるそうな。おそらく一部分だけだとは思いますが、私もいま注文中。このとおりアマゾンで買えたりします。閑話休題。
フー・ボー監督は小説家でもあったから言葉にも敏感で「象」という言葉に対して小さな言葉遊びを楽しんだに違いない、と僕は思っている。映画がより楽しくなるので二つの言葉遊びを紹介したい。
【象は静かに座っている言葉遊び その1】
苦しい状況に置かれた主人公たちがより大きな苦悩に直面する様が描かれるからツラミは多いものの、この映画は「象をみに征くロードムービー」という側面も持っている。映画を見る前僕はぼんやりと「なんで象なんだろう」と思っていた。で、映画鑑賞後には象が何を象徴するかということはわかるので実際に映画をみてもらうとして、ところで、「象徴」という言葉の中にも「象」がいるので気になって調べてみたら、象徴という言葉を中国語で書くと「象征」となるらしい。象は象そのものだから少し横に置いておいて、この「征」という漢字を調べてみると面白い。
征:①遠くへ行く、②明らかにする、③兆し、前触れ (※他にもたくさん意味はあります)
映画の中で、象は何の象徴だろうか。象をみに行くのはどういう意味があるのか。遠くに行って何を明らかにするのだろうか。その言葉遊びの意味を探すのもこの映画の楽しみだと思うので、頭の片隅に置いておいていただきたい。
【象は静かに座っている言葉遊び その2】
かように、象は静かに座っていて、それが何を意味するのかを考えるのはこの映画の楽しみだけれど、監督はおそらく英語の言葉遊びも意識していたのではないかと思う。
象を使った英語の慣用表現に「elephant in the room」というのがある。「Nobody wants to talk about the elephant in the room here.(ここでは誰もがその話題について話そうとしたがらない)」のように使えて、「誰もが知っているのに話題にあげない事柄、見て見ぬ振りする事柄」を表す。
そしてこの映画の中には誰もが知っているのに見て見ぬふりしているような社会問題が随所にちりばめられている。それらに直面して必死に生きている人たちを主人公に据えた映画なのだ。じゃあどんな社会問題が彼らの身に降りかかっているか、それを意識することでよりこの映画がみせようとした「皆が見て見ぬふりをする問題」が鮮明になると思う。
それにしてもこの「象」という言葉をあるものの象徴として表現しながら、暗に「象=みんなが見て見ぬふりしている問題」として捉えさせるあたり、監督のウィットさがみえてニヤリとしてしまう。
この映画にはたくさんの「elephant in the room」がちりばめられているが、実はこの映画では明言されない、しかも僕たちのほとんどが知らない(僕は全然知りませんでした。。)中国の社会問題が他の多くの問題の奥に大きく寝転がっている。そのことを知っているのと知らないので彼らが感じる閉塞感や生きづらさが大きく違ってくるので、ご紹介しよう。
【映画で明言されない elephant in the room】
映画ではっきりとは描かれなかった、主人公たちの首を静かに絞めている社会問題、それは戸籍の問題だ。中国では戸籍を農業(農村部の住民)と非農業(都市部の住民)にわけている。詳しいことは割愛するが、それによって教育の格差、社会保障の格差、ひいては貧富の格差が大きく生まれている。農業戸籍の人たちは農業などで稼ぎを得るか、都市部に出稼ぎにでることになるが、都市部は賃金が高い代わりに生活費も高い。また、農業戸籍の人が非農業戸籍にうつるのは可能ではあるが、金銭の問題も含めて易しいものではない。
映画では表現されないが、おそらく主人公たちはすべて農業戸籍である。農業戸籍を持つ人々の地域では高校に進学するのが難しい人が多いし、学校のレベルも都市部に比べれば高くない。また、優良な学校への距離は遠くてきちんとした教育を受けようと思うと都市部への移住が必要だが移住費や生活費が高い。そんなはざまで苦労しているのがジンとその娘夫婦であり、ジンはその結果老人ホームに入れられそうになっている。ブーとリンの学校はおそらくそもそもの存続が難しいが、学校で勉強を頑張ったとしても都市部の学校にどうやって進学できるのか。農業戸籍の受験生は都市部の受験生よりも高い合格点が必要だということもざらにあるらしい。
この映画をみれば中国国内の様々な問題を目にすることになるが、戸籍という「生まれ」によって生き方が大きく制限される閉塞感の中でチェンもジンもリンもブーも生きているのだ。このことは映画を見てもはっきりとは読み取れないが、これを知っているだけである人物のある言葉がより響いてくると思う。
さて最後に、この本を読んでから、もしくは、映画を見た後にこの本を読むことをおすすめしてnoteを閉じたい。
【コーマックマッカーシー「すべての美しい馬」】
映画の公式ホームページで堂々と書かれているように、この映画はコーマックマッカーシーの小説「すべての美しい馬」を一つのテーマにしている。
“彼は世界の美しさには秘密が隠されていると思った。世界の心臓は恐ろしい犠牲を払って脈打っているのであり、世界の苦悩と美は互いに様々な形で平衡を保ちながら関連し合っているのであって、このようなすさまじい欠落のなかでさまざまな生き物の血が究極的には一輪の花の幻想を得るために流されているのかもしれなかった”
このコーマック・マッカーシーの小説「すべての美しい馬」からの引用は、この映画の主題でもあります。私たちの世代では、それがどんなに些細なことであっても、信じるということが難しくなっています。そして、その苛立ちが今日の社会の特徴になっています。この映画は日常の中に私的な物語を積み上げています。最後に、みなそれぞれが最も大事にしていたものを失うことになる。
(公式ホームページのstatementから転用)
かっこいいよなぁ。この言葉の意味を考えて、この映画をみるとより面白いし、この言葉だけなんてみみっちいことを言わないで「すべての美しい馬」を読んでからこの映画のことを考えると監督の目指した映画表現がより分かりやすくなると思う。
端的に言えば、この本を読んだ後にこそわかるフー・ボー監督がこの映画に託した思いも、「かっこいいよなぁ」と思うのだ。
欲を言えば映画館でみるのがベストな映画であるけれど(内容以上に画面が暗くてPCでみるのはツラい)、note更新現在アマプラでもみることができるので、より多くの人に見ていただきたい「象は静かに座っている」でした!
公式ホームページみて、映画のトレイラーみて、映画見て、飲みにいこうぜ!(今はあかんかー)