おいしい歳時(10月)「兄の話」
10月は兄と父の誕生日があるので、なんとなく兄について書こうと思う。
兄は4つ年上で、中高生ぐらいの4つ上と言えばずいぶん年上で、当時はすごく年上の先輩が家にいるって感じがあったし、向こうからしてもめっちゃ年下の後輩が家にいるって感じだったと思う。自宅に後輩がいるのだから、物は教えるし偉そうに振る舞うのは当たり前だ。兄が小学五年生、僕が一年生のとき、2人でヨーグルトをおやつに食べていた。
「なぁ、このヨーグルトにさ、こうスプーン入れるやろ」
兄はスプーンを刺して、ググッとスプーンを動かしてヨーグルトに穴を作って、
「そしたらな、食べてへんし、すくってもないのに、ヨーグルトに穴ができたやろ。この穴の分のヨーグルトはどこに行ったと思う?」
僕は1人で駐輪場の屋根に登って落っこちてお腹一面に擦り傷を負うぐらいのアホだったけれど、バカではなかったので、
「え、ヨーグルトが押し込まれて、ぎゅっとなっただけちゃうの…」
と言った。すると、兄はもう何も言わなかった。おそらく僕が言うべきだった言葉は「わからへん」だの「なんでやろう?」だのそういうものだったのだ。まったくもって社会性と後輩力が足りぬ。2人して無言で黙々と食ったヨーグルトはそんなに美味しくなかった。
こういうことは、大人になってからもままある。楽しい酒の席で飲み食いした物は値段が安かろうが美味いし、堅い上司の説教を交えた食事はどんなに良いものを食べていても味はしないし、酒にも酔えない。仕事をし始めてそんな話を実家でしていたら、兄はこう言った。
「飯食うってのはさ、この空間の空気も一緒に食うからさ。何を食ってるかっていうよりも、場の空気が美味いかによるねんな。覚えとけよ。」
こいつ偉そうになにいうとんねん、と僕は思わなかった。なかなかええこと言うやん、と正直に思ったのである。
兄が大学にあがって、僕が中2か中3だったころ、車の免許をとった兄はよく僕をドライブに連れて行ってくれた。母や父とは行かなかったから、兄なりに中学生の弟を可愛がっていたのかもしれない。その日は今のところ滋賀県で1番美味いラーメン屋に連れて行ってくれるという。琵琶湖から山側に少し登ったところにある、車でしか行きにくいラーメン屋へ向かった。滋賀県というのは真ん中に琵琶湖があって盆地のようになっていて、周りは山に囲まれている。だからよく言われるのは滋賀の人はドライブしていて琵琶湖が見えるとホッとする。琵琶湖にさえ着いて、琵琶湖に向かって自宅が右か左かさえわかれば、家に帰れるからだ。しかも最悪右と左を間違えたとしても、琵琶湖を一周すればうちに帰れる。だから琵琶湖の見えない山側や県外を走っていると不安で、琵琶湖が見えると安心するのである。
ラーメン屋に着いて2人でラーメンを目の前にする。この辺りには珍しく豚骨醤油ラーメンで、天下一品ほどはこってりしていないものの中々にどっしりしたスープである。スープの底のほうにはドロドロの砂みたいなものが溜まっていて、「ここのスープは絶品やけど、底の方は豚骨の骨がザラザラ残ってるから、底を避けて上澄みのスープと麺を食べるねん」と兄。細めの麺にスープがよく絡むし、絶妙な濃さのスープが癖になる。何より、多分この頃の僕は兄と出掛けられるのが嬉しかったのである。音楽やバイクの話をして、少し大人になったようなこそばゆい気持ちでラーメンを食う。そんな時のメシが不味いはずがなく、僕らはその周りの空気を一緒に食っていたのだった。そこのラーメン屋はたぶん今でもあるのだけれど、兄曰く「すっかり味が変わってしまった」らしい。諸行無常だ。親父とは年に何度か2人で飲むけれど、兄とは久方飲み食いしていない。久しぶりに兄を誘って飯でも食いに行こうか。
夜