さらにいくつもの_画像

映画「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」


京都のいい映画館の出町座でみてきました「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」。まずは、出町座でみることが感慨深いというかですね、クラウドファンディングから始まって、少しずつ前に進んでいって、作品としての「この世界」と映画館としての「出町座(立誠シネマ)」が、装いを新たにしてお互い出会うというのがですね。うれしかったんですよねえ。

で、中身の話ですが。元の「この世界の片隅に」を「この世界」、新しいほうを「さらにいくつもの」って呼びますけどね、「この世界」のほうがシンプルな関係を描いてるんですよね。登場人物の描く必要のない部分を描かずに、ある程度観客の想像に任せている部分があって、それはそれで心地よかった。

「さらにいくつもの」はお話は一緒なのに、新たなシーンや描写を増やすことで、同じシーンなのに見ている感情が変わってしまうんです。それが新しくて心地よかったし、なにより僕としては大人味(おとなあじ)になったなぁ、って。だから、細かい話は映画をみてみたらわかるのでいいんですが、「この世界」という映画を楽しめる幅が増えたから、そういう意味でよかったなぁと思いました。

もう少しいうと、映画としての役割が増えたなぁと思うんです。「この世界」は、日常を描くすごく秀逸な戦争ものとしての映画。「さらにいくつもの」は、人間ってそうだよなぁ、っていう人生論的な意味合いを持つ心地の良いドラマ。だから、もしかすると「さらにいくつもの」をみたら、前作のほうが絶対よかった、とか、いらんストーリー見せた、みたいな感想がある気がするんです。

人間って汚いし、失敗するし、いいところだけじゃないし、理不尽も飲み込んで生きなきゃならないしってことはある。で、そういう人間のどろどろしたところの経験が薄いと、「さらにいくつもの」はよくわかんないことをわざわざ描いちゃったって感想になるんじゃないかなぁ。ま、人には顔面から砂利道に突っ込んで失敗するような経験も必要ですわな。自分もあるし。あとは、そういう人間は割合信用に足る、ような気がするなぁ。

一つ言えることは、「この世界」見てから、「さらにいくつもの」だ。それは絶対だ。重ねてきた人生で見え方が変わる映画だから、またいくらか経ってみたら世界が変わるなぁ、きっと。

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